大阪地方裁判所 昭和27年(わ)1557号 判決 1963年6月22日
職業不詳
騒擾(首魁)、威力業務妨害
三帰省吾
大正七年五月一六日生
外九四名
右の者らに対する各頭書被告事件について、当裁判所は検察官富久公、横幕胤行、小嶌信勝、羽鹿照夫、森井英治、辻文雄ら出席して審理の上、次のとおり判決する。
主文
被告人韓東燮を懲役十月に、
被告人康文圭を懲役三月に、
被告人高元乗を懲役二月に、
被告人李樹寛を懲役三月に、
被告人酒井猛を懲役三月に、
被告人金好允を懲役四月に、
被告人金煕玉を懲役三月に、
被告人夫子浩を懲役四月に、
被告人呉泰順を懲役四月に、
被告人任鉄根を懲役八月に、
被告人白光玉を懲役六月に、
被告人金哲珪を懲役二月に、
被告人木沢恒夫を懲役四月に、
被告人洪鐘安を懲役三月に、
被告人出上桃隆を懲役二月に、
各処する。
未決勾留日数中、被告人韓東燮に対し一七七日、被告人康文圭に対し五四日、被告人高元乗に対し二八日、被告人李樹寛に対し三八日、被告人金好允に対し三八日、被告人金煕玉に対し二三日、被告人夫子浩に対し二六日、被告人呉泰順に対し二三日、被告人任鉄根に対し四六日、被告人白光玉に対し五九日、被告人金哲珪に対し二九日、被告人木沢恒夫に対し七七日、被告人洪鐘安に対し三四日、被告人出上桃隆に対し一二日を、それぞれ右本刑に算入する。
但し、被告人韓東燮についてはこの裁判確定の日から二年間、被告人康文圭、高元乗、李樹寛、酒井猛、金好允、金煕玉、白光玉、金哲珪、木沢垣夫、洪鐘安についてはこの裁判確定の日からいずれも一年間、右刑の執行を猶予する。
被告人酒井猛、夫子浩については公訴事実中各騒擾、威力業務妨害の点、被告人金哲珪、洪鐘安については公訴事実中各騒擾、威力業務妨害、爆発物取締罰則違反の点は、いずれも無罪。
その余の被告人はいずれも無罪。
理由
目次
第一部 騒擾関係被告事件
第一章 公訴事実
第二章 当裁判所の認定した本件の全般的経過の概要
第三章 騒擾罪の成否
第一節 当裁判所の基本的態度
第二節 本件集団行動の目的と性格
第一 集団行動の目的
第二 集団の性格
一、神社前にいたる間の行動
(一)校庭参集について
(二)丘陵参集者について
二、いわゆる「武装」について
(一)校庭参集の集団について
(二)丘陵参集の集団について
(三)合流後の集団について
第三節 神社前より吹田駅にいたる集団の行動
一、神社前より吹田操車場にいたるまでと国鉄吹田駅における状況
(一)神社前のいわゆる警備線突破前後
(二)竹の鼻ガード
(三)岸辺駅
(四)吹田操車場内
(五)国鉄吹田駅
二、産業道路上、クラーク准将の場面から片山西巡査派出所までの状況
(一)クラーク准将乗用車
(二)茨木市警ウイポン車
(三)岸部巡査派出所
(四)ビーヌ軍曹らの乗用車
(五)片山東巡査派出所
(六)片山西巡査派出所
第四節 結論
第四章 威力業務妨害罪の成否
第五章 第三章第三節の各場面における暴行などについて有罪のもの
第六章 爆発物取締罰則違反その他についての判断
第二部 その他の被告事件
一、酒井猛に対する脅迫被告事件
二、夫子浩、白光玉、金哲珪、洪鐘安に対する各暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
三、夫徳秀に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
第三部 有罪被告人のうち七名の前科(刑法第四五条後段の併合罪関係)
第四部 法令の適用
第一部騒擾関係被告事件
第一章 公訴事実
第一、昭和二十七年六月二十四日午后六時頃より豊中市待兼山の大阪大学北校々庭及び隣接丘陵で開催された軍事基地軍需輸送粉砕等のスローガンを掲げる朝鮮動乱六・二五記念日前夜祭の集会参集者の多数は一部の扇動によつて吹田操車場襲撃を企図するに至り竹槍等を所持する内約三百名の集団は同日午后十一時五十分頃同所を出発して西国街道の旧道を進み途中民家二戸に石又はラムネ弾棍棒等によりガラス戸を破壊するなどの暴行を行つて大阪府三島郡豊川村を経て同郡山田村味舌に赴き更に又内約五百名の別動の集団は翌二十五日午前零時三十分頃前記校庭を出発して京阪神急行電鉄石橋駅に赴き臨時電車を発進させて服部駅に至り同駅で全員下車し、旧伊丹街道を経て吹田市豊津に於て吹田市警豊津派出所に火焔瓶石などを投げ窓ガラス等を破壊して暴行を行い同市山ノ谷小路等の部落を通り前記山田村味舌に於て前記約三百名の集団と合流した。以上の二集団は右合流地点に於て隊列を組み直し北鮮旗赤旗を押立て大多数は竹槍棍棒火焔瓶硫酸瓶等を携えて武装した上大鼓を叩き高唱しながら一隊となつて午前五時四十分頃三島郡味舌町須佐之男命神社前に到つたが其際同所に於て警備中の警察職員約百三十名によつて其の行動を制止されるや直ちに竹槍を構え石又は火焔瓶硫酸瓶等を投げつけるなどの暴行に出て一挙に警備線を突破して暴徒と化し吹田操車場に向つて進み通称竹の鼻ガード又は国鉄岸部駅前道路上に於て警備中の警察職員鉄道公安官等に火焔瓶石等を投げつけて暴行した上同駅西方約百八十米の附近から同駅構内に入り二十数分間に亘り同操車場構内に於て行動し軍用品積載貨車を探索し或は信号所に投石するなど操車作業を妨害した後産業道路に出て西進し国鉄吹田駅に向う途中駐留軍軍人の乗車せる自動車二台に硫酸瓶又は石を投げつける等の暴行に出て自動車を損壊し搭乗者を傷害し吹田市の市街地に於て吹田市警岸部、片山東、片山西の各派出所を順次襲撃しラムネ弾石又は棍棒等によつてガラス窓を破壊し電話機を引きちぎる等の暴行をなした外警備の為暴徒に先行しようとした警察職員二十数名の乗るウイポン車に数本の火焔瓶を投げつけ多数警察職員に火傷を蒙らしめ且車から顛落した警察職員を殴打して拳銃二挺及び実包を強取し附近民家の庭に難を避けた警察職員を追つて火焔瓶等を投入する等暴行の限りを尽した後、更に午前八時頃国鉄吹田駅に到り折から停車中の午前八時六分吹田駅着米原発大阪行九一一列車に乗り込み多数乗客の逃げ惑い混乱するうち逮捕に向つた警察職員に対し抵抗して竹槍棍棒を振い若しくは同駅ホームなどに火焔瓶を投げつけるなどの暴行を行つて列車の運行を阻害する等約二時間半に亘り多数聚合して暴行脅迫を行い、附近一帯の静謐を害し騒擾をなしたものであるが、右騒擾に際し
被告人三帰省吾、同夫徳秀は前記待兼山に於て参集した多聚を率い吹田操車場に於ける軍需品輸送を破砕する意図の下に参集者に対し被告人三帰省吾は「吹田操車場の軍需品輸送を我々は実力で阻止する」旨、被告人夫徳秀も朝鮮語で同趣旨の宣言を夫々行い前記集団を吹田操車場に向け進発せしめ何れも自ら列外にあつて暴徒の先頭に立ち指揮に当る等右騒擾を計画遂行し以て騒擾の首魁となり
被告人韓東燮は
一、前記産業道路に於て京都方面に向け進行中の米軍クラーク准将の搭乗する自動車に対し外数名と共同して木片、竹棒、硫酸瓶等を投げつけたが其の際被告人は長さ約三尺の棒を投げつけて同自動車の前部ガラスを損壊し
二、前記片山東巡査派出所前に於て外数名と共同して石及びラムネ弾等を投げつける等の暴行により窓ガラス等を破壊した際被告人は長さ約三尺の棒で同派出所の窓ガラスを損壊し
三、前記産業道路に面する吹田市消防署岸部出張所附近で吹田市警警視松本三秋が指揮する警察職員二十数名乗車中のウイポン車が被告人等を追いぬき先行しようとした際被告人は外数名と共謀して同車を焼毀し搭乗の警察官を殺害する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶約七個を投げ込み其の爆発燃焼により警察職員二十七名に対し夫々治療一週間乃至三週間を要する火傷等を負わしめたが殺害の目的を遂げず
以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人姜秀允は前記須佐之男命神社前に於て隊列の先頭に在つて其の整理に当つた外前記産業道路を行進中も隊員に指示して隊列の保持に努め以て他人を指揮し
被告人酒井竜弘は前記騒擾現場に於て赤旗及び竹棒を所持し隊列の外に在つて一部の暴徒を指導し以て他人を指揮し
被告人西田勝二は前記騒擾現場に於て十余名の救護班を引率し以て他人を指揮し
被告人張永竜は前記岸部派出所等に於て暴徒が窓ガラス等を破壊した際隊列中から声援を与え以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人康性弼は前記産業道路を行進中吹田駅まで頑張つて歩け等と他を激励し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人井上幸治は前記吹田操車場構内に於て高声で国鉄職員にアジリ又は貨車に投石し更に前記産業道路上に於て暴徒の火焔瓶による襲撃によりウイポン車から顛落した警察職員に対し投石し続いて警察職員を殴打せんとして竹棒を持ちその場所に駈け寄り以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人北岡正道は前記操車場構内に於て国鉄職員に対し朝鮮へ武器を送るな等と高声で呼びかけ以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人佐藤仲利は前記吹田駅に於て停車中の下り九一一号列車内から硫酸瓶様の瓶及び竹槍を下りホームに投げつけ以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人康文圭は前記岸部派出所に於て外数名の者と共同して器物を損壊した際所携の竹棒で窓ガラスを破壊し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人高津弘は前記操車場構内で国鉄職員に対し朝鮮へ戦争物資を送るな等と高声で呼びかけ以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人鈴木正隆は前記操車場構内及び吹田駅に於て警察職員等に投石し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金鐘亀は前記暴徒中の所謂中西中隊加美小隊の小隊長となり隊員約九名を引率し以て他人を指揮し
被告人沢口逸男は前記須佐之男命神社前から棍棒を所持しスクラムを組み暴徒の最前列に立つて警備線を突破して行動し、産業道路を西進中追尾する警察職員に対抗するため外数名と共に集団の最後尾に移り以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人島原勲は前記須佐之男命神社前から竹棒を所持してスクラムを組み暴徒の最前列に立つて警備線を突破して行動し、産業道路を西進中追尾する警察職員に対抗するため外数名と共に集団の最後尾に移り以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人高元乗は前記吹田操車場構内で国鉄職員に対し「アメ公の手先になるな」等高声で呼びかけた外産業道路に於て東方に進行中の米軍ビーヌ軍曹乗用の自動車に外数名と共同して投石し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人中条収は前記暴徒中の大阪外国語大学々生尹致勲外数名を引率し以て他人を指揮し
被告人上田理は前記吹田操車場構内等に於て一部の隊員を引率するため隊列外にあつて行動し以て他人を指揮し
被告人斎藤信夫は右現場に於て和田茂外六名を引率し以て他人を指揮し
被告人市田(古川)孝は
一、前記産業道路上に於て人家に向つて外数名と共に「軍事基地反対」「アメ公帰れ」等と叫び
二、前記片山東派出所附近に於てその所持する石を暴徒の一員に手交して同派出所に投石させ以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人勝間正一は前記産業道路上に於て暴徒の火焔瓶による襲撃によりウイポン車から顛落した警察職員に対し投石し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人竹本哲雄は前記吹田操車場構内に於て竹棒、石等を携帯し国鉄職員に対し「アメ公の手先になるな」と高声で叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人高橋鎮雄は
一、前記吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「アメ公の軍需品を運ぶな」等叫び
二、前記産業道路上に於て暴徒の火焔瓶による襲撃によりウイポン車より顛落した警察職員を殴打せんとして竹棒を持つて其の場所に駈け寄り
三、前記吹田駅に於て警察職員に対し「国民弾圧のため銃を向けるな」等大声で叫び
以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人李樹寛は右現場に於て警察職員に抵抗するためゴムはじき一個、パチンコ玉二十個、尖つた鉄片一個及び竹棒を携えて行動し且つ前記岸部派出所に於て竹棒を以て同所の窓の桟を叩き壊し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人林正夫は前記吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「アメ公帰れ」「職制反対」等と叫び他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人朴徳厚は前記産業道路に面する吹田市消防署岸部派出所附近に於て吹田市警警視松本三秋が指揮する警察職員二十数名乗車中のウイポン車が暴徒の襲撃を受け停車した際外数名と共謀して同車を焼毀し搭乗の警察官を殺害する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶数個を投げ込み、その爆発燃焼により警察職員二十七名に対し夫々治療一週間乃至三週間を要する火傷を負わしめたが殺害の目的を遂げず以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人李相哲は右現場に於て他人を殺傷する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶一個を所持して行動し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人高畠和一は前記騒擾現場に於て暴徒中の井上幸治等十名を引率し以て他人を指揮し
被告人植松元夫は前記片山東派出所に於て外数名と共に同所入口戸を破壊するにあたり所携の竹棒で之を叩き壊し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金用立は
一、前記吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「アメリカの手先になるな、労働者同志諸君頑張れ」等と高声で呼びかけ
二、前記現場に於て他人を殺傷する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶を一儲所持して行動し
以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人慎万遜は前記現場に於て他人を殺傷する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶を一個所持して行動し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人酒井猛は
一、前記吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「アメリカの軍臨を止めよ」、或は警察官に対し「ポリ公帰れ」と叫び
二、前記産業道路に於て岸部派出所及び東方に進行中の米軍ビーヌ軍曹乗用の自動車に各投石し
以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人三根勝は
一、前記須佐之男命神社前に於て警備の警察職員と遭遇した際、松の棒を携へ喊声を挙げて警備線を突破し
二、前記吹田操車場構内に於て警察官に対し「警官帰れ」或は前記産業道路に於て人家に向い「住民登録反対」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人田中伸一は
一、前記須佐之男命神社前に於て警備の警察職員と遭遇した際、松の棒を携へ喊声を挙げて警備線を突破し
二、前記吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「頑張れ」或は前記産業道路に於て人家に向い「住民登録反対」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人尾田英夫は前記吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「米軍輸送を止めろ、国鉄を日本の国鉄にしろ」と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金仁錫は前記産業道路に面する吹田市消防署岸部派出所附近に於て吹田市警警視松本三秋が指揮する警察職員二十数名乗車中のウイポン車が暴徒の襲撃を受け停車した際外数名と共謀して同車を焼燬し搭乗の警察官を殺害する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶数個を投げ込みその爆発燃焼により警察職員二十七名に対し夫々治療一週間乃至三週間を要する火傷を負はしめたが殺害の目的を遂げず以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人河相竜は
一、前記竹の鼻ガードに於て警備中の警察官に対し危害を加える目的をもつて塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶一個を投げつけて爆発せしめ以て他人に率先して騒擾の勢を助け
二、前記騒擾現場に於て高元乗等班員二十数名を引率し以て他人を指揮し
被告人高炳允は前記須佐之男命神社前から竹槍を所持してスクラムを組み暴徒の最前部に立つて警備線を突破して行動し吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「アメリカの貨車はどれだ」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人李鶴燮は前記騒擾現場に於て警察職員の自動車使用を阻害するため所謂パンク針を携えて行動した外吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「軍用列車に乗るな」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人小林喜一は前記騒擾現場に於て警察職員の自動車使用を阻害するため所謂パンク針を携えて行動した外吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「軍需列車を動かすな」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人初柴信明は前記片山東派出所前に於て外数名と共に同派出所に投石し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人酒井忠雄は前記騒擾現場に於て暴徒中の所謂民青部隊に属する一隊の隊員数十名を引率し以て他人を指揮し
被告人片原(柄谷)サムヱは前記騒擾現場に於て警察職員に抵抗するため尖つた鉄片一個を携えて行動した外産業道路に於て人家に向い「徴兵のための住民登録に反対しましよう」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人中村(小西)高枝は前記騒擾現場に於て警察職員に抵抗するため尖つた鉄片一個を携えて行動した外吹田操車場構内に於て国鉄職員に対し「軍臨を拒否せよ」等と叫び以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人喜田長保は前記騒擾現場に於て班長として暴徒中の約十名よりなる班員を引率し以て他人を指揮し
被告人石川鑑一は前記須佐之男命神社前に於て警備の警察職員と遭遇した際前記暴徒中の山田隊の先頭に出て行広某等とスクラムを組み後方の隊員に対し検挙を避けるためのスクラムの組み方を説示し喊声を挙げて警備線を突破し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金鎮兌は前記騒擾現場に於て警察職員の自動車使用を阻害するため所謂パンク針を携えて行動し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人朴喆杓は前記騒擾現場に於て警察職員の自動車使用を阻害するため所謂パンク針を携えて行動し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人康喜典は前記騒擾現場に於て平山こと東田博文と共に騒徒中の所謂民青部隊に属する一隊の隊員数十名を引率し以て他人を指揮し
被告人金好允は前記産業道路に面する吹田市消防署岸部出張所附近に於て吹田市警警視松本三秋が指揮する警察職員二十数名乗車中のウイポン車が暴徒の襲撃を受け停車した際、車外に転落した茨木市警巡査小田切恭蔵を殺害する目的で、塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶一個を投げつけたが命中しなかつたので殺害の目的を遂げず以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金煕玉は前記片山東巡査派出所前に於て、同派出所に対し所携の棒を投げつけて窓ガラスを損壊し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人李文芳は前記片山東巡査派出所前に於て、同派出所に対しラムネ空瓶一個を投げつけ以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人夫子浩は
一、前記片山東派出所前に於て外数名と共同して竹槍、棍棒等で同派出所の表ガラス戸等を破壊した際小石一個を同派出所に投石し
二、前記片山西派出所前に於て外数名と共同して竹槍、棍棒等で表ガラス戸を破壊した際、同派出所に小石数個を投石し更に丸太棒にて同派出所表硝子戸の桟及び腰板を破壊し
以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人呉泰順は外数名と共同して
一、前記片山東派出所に於て棍棒等で窓ガラス等を損壊した際、同派出所備付けの電話器を引きちぎつて破壊し
二、前記片山西派出所に於て梶棒等で窓ガラス等を損壊した際、同派出所備付けの電話器を引きちぎつて破壊し
以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金基哲は右現場に於て他人を殺傷する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶一個を所持し前記暴徒中の舎利寺小隊第一班長として金好允外六名の班員を引率し以て他人を指揮し
被告人任鉄根は前記産業道路に面する吹田市消防署岸部出張所附近に於て吹田市警警視松本三秋が指揮する警察職員二十数名乗車中のウイポン車が同被告人等を追いぬき先行しようとした際同被告人は外数名と共謀して同車を焼燬し搭乗の警察官を殺害する目的で塩素酸カリ、硫酸、ガソリンよりなる爆発物である所謂火焔瓶一個を投げ込み其の爆発燃焼により警察職員二十七名に対し夫々治療一週間乃至三週間を要する火傷等を負はしめたが殺害の目的を遂げず以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人白光玉は前記岸部派出所及び片山東派出所に於て外数名と共同して棍棒等で窓ガラス等を破壊した際所携の棍棒で之を叩き壊し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人金哲珪は前記騒擾現場に於て暴徒中の所謂生野大隊中地区中隊御幸森小隊長として隊員約八名を引率し以て他人を指揮し
被告人木沢恒夫は
一、前記騒擾現場に於て康喜典及び東田博文と共に暴徒中の所謂民青部隊に属する一隊の隊員数十名を引率し
二、前記岸部派出所に於て同派出所にラムネ瓶一個を投げ込み
二、前記片山西派出所に於て同派出所の窓の桟を手で折り
以て他人を指揮し或は他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人姜成筍は前記騒擾現場に於て班長として暴徒中の約三名の班員を引率し以て他人を指揮し
被告人洪鐘安は前記騒擾現場に於て暴徒中の所謂生野大隊中地区中隊御幸森小隊第一班長として班員約三名を引率し以て他人を指揮し
被告人朴允煥は前記騒擾現場に於て暴徒中の所謂生野大隊南地区中隊長として隊員約十三名を引率し以て他人を指揮し
被告人李福権は前記産業道路を行進中高昌植等に対し「もう暫らくだから頑張れ」等と叫んで同人等を激励し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人河島哲夫は前記騒擾現場に於て暴徒中の山田隊第二班の班長として班員約十名を引率し以て他人を指揮し
被告人柳志浩は前記騒擾現場に於て暴徒中の所謂生野大隊長として隊員約百名を引率し以て他人を指揮し
被告人出上桃隆は
一、前記須佐之男命神社前に於て警備線を突破するに当り警察職員に対し「ポリ公帰れ」と叫び
二、前記岸部派出所前に於て同派出所に投石し以て他人に率先して騒擾の勢を助け
被告人中島泉は前記騒擾現場に於て班長として小林洋外二名を引率し以て他人を指揮し
被告人朴元在、同呉昌根、同李芳一、同小林(長束)登美子、同高永彦、同森裕二、同谷本幸雄、同西野美起子、同中山淳、同坂本賢三、同金奉善、同金鳳八、同姜淳玉、同松田利昭、同尹致勲、同阿部信行、同和田茂、同山田拓、同伊藤実、同清水孝一、同柏原収二、同堀辺邦夫、同矢頭(石井)久子、同中谷修、同中村茂雄、同中村晋一等は何れも右騒擾に加わつて附和随行した。
第二、被告人等は何れも前記吹田操車場構内に於て外数百名と共に二十数分に亘り集団の威力を示して国鉄職員を制圧して行動しその間操車作業を中止するの止むなきに至らしめ以て威力を示して鉄道の業務を妨害した。
第三、
一、被告人洪鐘安、同金哲珪は朴文鐘外約二名と共謀の上昭和二十七年六月二十四日大阪市生野区猪飼野中三丁目八番地元朝鮮人御幸森小学校に於て、他人の身体財産を害せんとする目的を以て、塩素酸カリ、硫酸、ガソリンを材料として爆発物である所謂火焔瓶十個を製造した。
二、被告人朴喆杓は菜島八郎、趙義済と共謀の上昭和二十七年七月十二日高槻市字高槻北大手千百六十九番地石井忠男方に於て警察官に危害を加える目的をもつて塩素酸カリ、硫酸、ガソリン等を使用して爆発物である所謂火焔瓶六本を製造した。
第二章 当裁判所の認定した本件の全般的経過の概要
「証拠」についての説明《省略》
昭和二七年六月二四日夜待兼山(豊中市柴原三二番地)の大阪大学北校校庭において、朝鮮戦争勃発二周年記念前夜祭が行なわれた。校庭には火が焚かれ、中央演壇付近に「伊丹軍事基地粉砕平和の夕」と大書した立札が立てられ、大阪府学連委員長が議長となり学生、国鉄労組、民主団体等の代表者による、朝鮮戦争休戦会談早期妥結、軍事基地粉砕、吹田操車場の軍需輸送反対などの演説、メッセージの朗読があり決議がなされた後、関西合唱団による平和の歌の合唱や朝鮮舞踊などの余興が行なわれた。これに参加した五、六百名は翌二五日午前〇時二〇分ごろ、おおむねグループ毎に隊伍を整えて校庭を出発し、太鼓をたたき労働歌を高唱しつつ京阪神急行電鉄石橋駅にいたり、臨時電車を強要して乗車し、全員服部駅で下車、旧伊丹街道を行進し吹田操車場に向つたが、途中その一部のものは吹田市警察署豊津巡査派出所に火炎瓶を投げた。
(証拠《省略》)
一方、右大阪大学北校校庭に隣接する東方丘陵においても、校庭の集会と呼応して、火を囲み、青年は平和と独立の戦士となろう、などの決議や演説がなされ、インターなどの合唱の後、この丘陵に集つた三、四百名は、そのうちの相当数のものが近くの竹藪で竹槍、竹の棒を作つたりなどして、翌二五日午前〇時ごろ編成を整え一団となつて丘陵を出発し、旧西国街道を行進して吹田操車場に向い、途中大阪府三島郡豊川村大字小野原部落を行進中、一部のものは隊列から分れて同部落一三九六番地笹川良一方にいたり、その窓ガラスなどを破壊した。その後この集団は、同郡山田村海老谷の瑞恩池の傍で休憩し、夜明けとともに行進を始め同村下部落を行進中、先頭の一部のものが同部落一三一一番地中野新太郎方に入り、「中野おらんか」とどなつたり障子をこわしたりなどした。
(証拠《省略》)
校庭と丘陵上に参集したこの二つの集団は、同部落田中くに方付近で合流して約九百名の集団となり、太鼓をたたき赤旗や朝鮮人民共和国国旗を先頭に労働歌などを高唱しつつ午前五時過ぎごろ同郡味舌町、須佐之男命神社(以下、神社と略称する)北方にさしかかつた。
(証拠《省略》)
これよりさき、集団が吹田操車場の軍需輸送の妨害を企図している旨の報告を受けた吹田市警察は、国家地方警察大阪府本部の応援を受け集団の操車場侵入を阻止すべく、吹田市警察次長松本三秋警視の指揮する約一三〇名の警察官を出動させ、うち吹田署員三六名(他の警察官はやや離れて産業道路上に集結していた)は神社の参道と直角に交差する産業道路上に横隊となり、集団の前方に立ちふさがつたが、集団が真近に迫るやその勢威に押されて「八」の字に隊を開いた。集団は警察官の傍観する中をスクラムを組み、かん声をあげて産業道路を横断した。その際、集団の一部のものから警察官に投石がなされた。これより集団は、味舌町通称竹の鼻ガード、吹田市岸部の国鉄岸辺駅前を通り、午前六時一八分ごろ岸辺駅ホーム西端より約三四米西方の柵の切れ目から吹田操車場に進入したが、
その間、竹の鼻ガード通過の際集団の一部のものから火炎瓶や石などが警備中の警察官に投げられ、岸辺駅前においても同様警察官・鉄道公安官に投石が行なわれた。集団は操車場構内の約一五〇〇米の間を労働歌を高唱し、場内の職員に対し「戦争反対」「軍需物資を送るな」「労働者頑張れ」と呼びかけたり、スローガンを叫びなどしつつ行進し、午前六時四三分ごろ坪井ガード付近から場外に退去したが、場内において、一部のものが軍需列車を探し、「佐藤駅長を出せ」などと叫んだり、信号所の窓ガラス一枚をこわしたりした。操車場側では、集団が場内を通過したことによつて、上り坂阜、下り坂阜を通じて約二〇分間列車の仕分作業を中止した。
(証拠《省略》)
操車場を退出した集団は、産業道路に出て、戦争反対などのスローガンを叫びつつ国鉄吹田駅に向つて西進したが、午前七時前ごろ味舌町、千里丘小学校前付近において、米国陸軍准将クラークの乗つた自動車とすれ違うや、一部のものが硫酸瓶などを投げ、さらに西進し午前七時一〇分過ぎごろ、集団隊列の後尾付近吹田市岸部、同市消防署岸部出張所前を通過しようとした際、集団の後尾を追尾していた警官隊のうち松本三秋警視ら二八名の警察官を満載したウイポン車が吹田市街地警備の目的で集団の前方に進出するため集団を追い越そうとしたところ、集団の一部のものは右ウイポン車に対し投石を始め、または火炎瓶などを投げて命中させ、さらに火炎を浴びて路上に転落した警察官にも駈け寄り棒でたたくなどの暴行を加え、二七名の警察官らに火傷等を与え、拳銃二丁を奪つた。ついで集団が午前七時二〇分ごろ、同市大字小路三七六番地、同市警察署岸部巡査派出所前を通過の際、集団の一部のものは、同派出所に投石し、駈け寄つて窓ガラスをこわし、電話器を引きちぎつて路上にたたきつけ、または自転車を持ち出して踏みつけたりした。集団はさらに西進し、同市岸部小路三九三番地付近において、米国陸軍軍曹ビーヌ外一名の乗つた自動車とすれ違つたが、その際集団の一部のものは、またもこれに対し石や棒などを投げた。つづいて集団は産業道路上を吹田市街地に入り、午前七時三〇分ごろ、同市片山天道二一三〇番地、同市警察署片山東巡査派出所前を通過の際、集団の一部のものは、これに対し石やラムネ弾を投げたり、駈け寄つて棒で窓ガラスなどをこわし、電話器を路上にたたきつけ、または自転車を溝に放りこんだりした。さらに、午前七時四〇分ごろ同市大字片山二九二番地、同市警察署片山西巡査派出所においても、集団の一部のものは前同様の暴行をなした後、集団はアサヒビール吹田工場前を通り旧伊丹街道を南下して西の庄ガードをくぐり、午前八時ごろ国鉄吹田駅にいたつた。
(証拠《省略》)
その間、右ウイポン車の場面において、集団の中には隊列を離れ露地に逃げこむものなどがあり、一時隊列は相当乱れたことがあつたほか、集団は産業道路上を終始隊伍を整え、先頭に旗を押し立て、太鼓をたたき、戦争反対、再軍備反対、徴兵反対などのスローガンを叫びつつ行進を続けた。
(証拠《省略》)
集団の中には職場に出勤するなどのため途中で隊列を離れて帰るものもいたが、大部分のものは吹田駅南口の改札口を通つて下りホームに上り、多数のものは竹棒などを捨て、間もなく到着した大阪行九一一列車の八車両に、一般乗客の乗降がすんだ後整然と分乗した。午前八時七分発の同列車がまさに発車しようとする直前、集団参加者の検挙に駈けつけた松本警視以下三七名の警察官は、同列車の発車を停止させた上、拳銃を構えて車内の集団参加者の逮捕に着手した。このため、車内やホーム上は難を避ける一般乗客を含め一時大混乱に陥つた。この混乱のさ中、集団参加者三名は警察官の拳銃発射のため負傷し、一方参加者のうちには逮捕に当つた警察官に火炎瓶や石などを投げるものもいた。同駅において集団参加者二三名が逮捕され、列車は約九分おくれて発車した。
(証拠《省略》)
第三章 騒擾罪の成否
第一節 当裁判所の基本的態度
騒擾罪は多衆が集合して暴行または脅迫をなすことによつて成立するが、右多衆であるためには一地方における公共の平和・静謐を害するに足る暴行・脅迫をなすに適当な多人数であることを要し、なお、その暴行または脅迫は集合した多衆の共同意思に出たものであることを要する。そして騒擾罪に必要な共同意思は、多衆全部間における意思の連絡ないし相互認識の交換までは必ずしもこれを必要とせず、事前の謀議、計画、一定の目的があることも、また当初から存在することも必要でなく、多衆集合の結果惹起せられることのあり得べき多衆の合同力による暴行脅迫の事態の発生を予見しながら、あえて騒擾行為に加担する意思があれば足り、必ずしも確定的に具体的な個個の暴行脅迫の認識を要するものでない(昭和三五年一二月八日最高裁判所第一小法廷判決要旨一―三)。また騒擾罪は、群衆による集団犯罪であるから、その暴行または脅迫は集合した多衆の共同意思に出たもの、いわば集団そのものの暴行または脅迫と認められる場合であることを要するが、その多衆のすべての者が現実に暴行脅迫を行なうことは必要でなく、群衆の集団として暴行脅迫を加えるという認識が必要なのである(右判決理由中の要旨第二)。
いうまでもなく、騒擾罪は典型的な集団犯罪である。集団犯罪においては、その構成員が集団心理に支配され、容易に良識ある個人としての拘束から解放されてその責任感情が減少し、集団のかもす異常なふん囲気の下に衝動的に行動する傾向を有するものであつて、時としては勢のおもむくところ重大な事態に発展し公共の平和を害するにいたる危険性を持つ。刑法はこのような集団犯罪の特質にかんがみ、騒擾罪の首魁と指揮・率先助勢者に対しては相当重い刑を規定し、一方附和随行者に対してはきわめて軽い刑を規定しているのである。
騒擾罪の成立に必要とされるいわゆる共同意思についてみると、集団が初めより暴行脅迫を目的としたような場合にはとくに問題は存しないが、もともと正当な目的で集合した集団が、集団行動の過程において集団の一部のものによつて暴行脅迫が行なわれ、それが一定の規模に達し、ある様相を示すにいたつたとき、その集団に暴行脅迫の共同意思が成立したと見るべきか、またそれがいかなる段階において成立したと見るべきか、通常、具体的な場合にはその間の事情はきわめて微妙であつてその判定は困難である。
騒擾罪が集団犯罪として具有するその衝動的性格からみて、いわゆる共同意思は、もとより、一貫して特定の暴行脅迫を行なおうとする意思というように厳格に理解せらるべきものではない。判例が共同意思に出たことを要するといいながら、一方、いわば集団そのものの暴行脅迫といつたり、また学者が「群衆的共感状態」とか、「集団が暴行脅迫の傾きを示したとき」といつたりしていることからもうかがわれるように、共同意思といつても、もとより共同意思というある実体が存在しそれにもとづいて暴行脅迫が行なわれるというように考えるべきでなく、集団心理の作用、集団犯罪の実相等を洞察し、集団犯罪の特質に着目して判断されなければならないものである。
しかしながら、騒擾罪は集団そのものを犯罪視し、原則として集団参加者全員をいつせいに検挙断罪することによつて公共の平穏・社会の秩序を維持しようとするところにその本質的機能を持つ。このことは、その構成要件が必ずしも明確でないことと相まつて、とくに集団示威行動のような場合、その解釈運用のいかんにより憲法の保障する表現の自由等の国民の基本権を侵害する危険のあることも考慮しなければならない。集団示威行動は、元来、集団のもつ多衆の威力を誇示することによつて所期の目的を達成しようとするものである。集団示威行動が時として常規を逸し、またさなくとも、しばしば取締官憲との間に紛糾を生じ、往往にして暴行脅迫等の事態の発生をみることは経験上否定しがたいところである。もとより集団示威行動といえども暴行脅迫等を許容するものではなく、仮にその過程において暴行脅迫が行なわれた場合、通常は、ただその個個の具体的暴行脅迫等をもつて刑責を問えば足りるのであつて、集団心理の支配する集団犯罪の一般的傾向や危険性を重視する余り、いわゆる共同意思を安易に認めることも厳に慎まなければならない。
これを要するに、騒擾罪の成立に必要な共同意思の判定に当つては、前述の騒擾罪の特質とその機能を慎重に考慮し、その集団行動の目的、集団の性格、個個具体的暴行脅迫行為とその相互の関連ならびに暴行脅迫の行なわれた時点における集団全体の反応と動向等を仔細に検討し、その総合の上に立つて結論を出す外はないと考える。
ところで、本件は、約九百名の集団が、後に示すように、警察官との衝突を予期し、多数のものが竹槍、竹、棒や石などを持ち、また一部のものはひそかに火炎瓶、硫酸瓶、ラムネ弾などを携行した上、約二時間余にわたり、立入を禁止されている吹田操車場を含み、神社前より国鉄吹田駅にいたる約八キロ(裁判所の昭和二八年三月四日の検証調書添付図面)の行程を行進し、その間、一部のものは警察官、巡査派出所、駐留軍自動車などに攻撃を加えたもので、とくに産業道路上における一連の暴行は、一見暴徒的様相を呈し、付近の人心にも少なからぬ不安と動揺を与えたことがうかがわれ《証拠省略》騒擾罪の成立もやむをえない観がないでもないが、当裁判所は慎重審議し討論を重ねた結果、結局本件暴行脅迫は、いわゆる集団の共同意思に出たものとは認めがたいとの結論に達し、騒擾罪の成立を否定した。以下その理由を述べる。便宜項を分かつて説明するが、その間分かちがたい関連のあることはいうまでもない。
第二節 本件集団行動の目的と性格
第一 集団行動の目的
検察官は、「集会参集者の多数は一部の扇動によつて吹田操車場襲撃を企図した」と主張し、被告人・弁護人は「朝鮮戦争反対、軍事輸送反対等を吹田操車場ならびにその周辺に訴える示威行進である」と主張している。
まず、校庭参集者についてであるが、校庭の集会の模様はさきに第二章で述べたとおりである。この集団は一部のものの計画にもとづき臨時電車に乗車し、その多くは大阪に帰るものと思つていたところ、車内で吹田操車場におもむくことを知らされ《証拠省略》前示のように服部駅で下車して行進し丘陵参集者の集団と合流したものであつて、校庭参集者の多数のものに吹田操車場襲撃の企図があつたとは、とうてい認めることはできない。
この点について検察官の主張にそうものとしては、朴文鐘の検察官に対する昭和二七年九月二六日付第二回供述調書中に「電車が発車し二つ三つ停留所を過ぎたころ、前の車両からやつて来た顔見知りの後藤和夫が、学生服を着た姿で第二両目の真中あたりにやつて来て、大きな声で、電車が服部駅で停車したら全員下車して下さい、吹田まで行進して、吹田の軍需列車を襲撃するという旨の指示をした。皆はこれに同意したのか喜んで手をたたいたり、声をあげたりしていた」との記載があるが、朴文鐘は、本件一被告人(姜成筍)の逮捕に際し警察に協力して呼び出し役をつとめ(第三六五回公判の証人高田知主子、第二二〇回公判の姜成筍の各供述)、しかも公判早早姿をくらまし現在にいたるも所在不明であることは当裁判所に顕著なところであり、右の供述記載は全面的に信用しがたいのみならず、第二七三回公判の証人柳志浩の供述、任鉄根の昭和三二年七月一九日、李文芳の同年同月三日の各証人尋問調書及び李相哲、張永竜の各合意書によると、ただ吹田操車場へデモに行く旨の指示があつたというのであり、他にこれを認めるに足る証拠はない。
つぎに、丘陵参集者について、当裁判所は、この集団が丘陵を出発するに当り、被告人三帰省吾が日本語、同夫徳秀が朝鮮語で「吹田操車場からは七一七一列車等の米軍軍用列車が日日朝鮮戦線に向つて武器弾薬等を輸送している。われわれはこの軍用列車阻止のためデモ行進を起し吹操を襲撃する。なおその途中笹川良一方と中野新太郎方に挨拶してゆく」旨の演説を行なつたことを認めた。被告人三帰は、同夫徳秀とともに騒擾の首魁として起訴されており、もと日本共産党大阪府委員会軍事部責任者であつたところ公判の途中脱党したものであるが、三帰は脱党後の法廷において、共産党の軍事活動の実態を明らかにしつつ、この点について、「吹田操車場には日ごと七一七一列車等の軍需列車が往来している、われわれはこれを粉砕しなければならないとの意味の演説はしたが、粉砕しなければならないというのは、吹田操車場へ行つてみんなで貨車をガチヤガチヤにしようといつた意味では決してなく、私としては、あの大きな部隊は最初からデモで吹田操車場を通る腹案であつた。目的は軍需輸送の実態の暴露宣伝にあつた。」と述べている。このように首謀者と目されている同被告人自らが文字通り吹田操車場襲撃を企図していたのではなかつたのである。同被告人らの演説をきいた丘陵参集者の大多数も吹田操車場襲撃を決意したものとは認められない。
(証拠《省略》)
さらに、丘陵参集者は本件集団の一部であり、また合流後の集団が、その後吹田操車場の襲撃なり何らかの破壊行動を企図するにいたつたと認めることは、何よりも集団の操車場における現実の行動に照らして困難といわなければならない。もつとも、後に示すように、操車場内において、先頭にいた被告人夫徳秀他一名が貨車の車票を見たり貨車の中をのぞいたり職員に軍需列車の所在をたづねたりしたこと、操車場側が集団の襲撃に備えてあらかじめ軍需列車の隠蔽退避の処置をとつたためその目標がなかつた(第三四回公判の証人佐藤宗郎の供述)ことも事実ではあるが、真に集団が操車場襲撃を企図していたものとすれば、操車場においてもつとそれにふさわしい行動があつてしかるべきものと思われるのである。
これを要するに、本件集団行動の目的は、検察官の主張するように、吹田操車場において軍需列車を襲撃するとか破壊するとかにあつたと認めることはできず、朝鮮戦争に反対し、吹田操車場の軍需輸送に対する抗議のための示威行進にあつたと認めるのが相当である。
第二 集団の性格
本件集団は、朝鮮戦争二周年記念の行事に参集したものであつて、この集会の性格上参加者の大多数は、もともと反米・反政府的思想感情の持主であつたところ、待兼山における演説などによりさらに意識の高揚のあつたことは容易に想像されるのである。丘陵集団にあつては、すでに山上において相当数の竹槍、竹の棒などが作られており、警察力の発動に対し実力をもつて抵抗する意図のあつたことがうかがわれる。ことに、丘陵、校庭を問わず集会に参加した多数の朝鮮人――これら朝鮮人は、他の参加者も同様であるが、朝鮮戦争はアメリカ帝国主義の侵略政策のあらわれであると信じていた――にあつては、祖国が朝鮮戦争の戦場となり、同胞相食む悲惨な実相を深憂焦慮する余り、米軍はもとよりアメリカの戦争政策に協力する日本の政府官憲に対し、きわめて強い憤まんの情を持つていたことは想像にかたくない。
しかし、ここでは集団のいわゆる共同意思との関連において集団の性格を見ようとするのであり、このためには、とくに集団の神社前にいたるまでの諸種の行動と、検察官のいう集団の「武装」状況について検討しなければならない。(武装という表現は、この場合必ずしも適切でないが、他に適当な言葉が見当らないので、以下便宜この言葉を用いる。)
一、神社前にいたる間の行動
当裁判所はつぎの事実を認定した。
(一)校庭参集者について
(1)校庭集会の際一部のものは、取材中の新聞社写真部員のフイルムを取上げて燃やした。
(証拠《省略》)
(2)石橋駅において、営業時間外であつたにもかかわらず気勢を示して臨時電車を執ように要求し、万一の破壊行為をおそれた京阪神急行電鉄側をしてこれに応ずるのやむなきにいたらしめた。
(証拠《省略》)
(3)集団の乗車した電車が進行中、東側産業道路上を取材のため疾走する新聞社の自動車一〇台位に向つて、集団のなかに車窓から怒声を発したり投石したりするものがいた。
(証拠《省略》)
(4)集団が吹田市警察署豊津巡査派出所前を通過した際、集団の後部にいた生野グループの二名が朴文鐘の指示により火炎瓶二本を同派出所に投げつけ、うち一本を命中させ、窓ガラス三枚をこわし窓の桟を焦がした。
(証拠《省略》)
(二)丘陵参集者について
(1)丘陵上の集会に参加する途中、被告人三帰省吾の指示により、校庭の東南端から約一〇〇米南方台地上の米国軍人住宅六戸のうちリチヤード・バーンズ方裏敷地に火炎瓶を投げるものがいた。
(証拠《省略》)
(2)集団の前部のものと後部の一名の計一〇名位が被告人三帰省吾の指示により、隊列を離れて笹川良一方に行き、約一〇分間竹槍、棒などで同人方表玄関、窓などをたたきこわしたり、石やラムネ弾を投げこむなどし、同家表玄関外側板戸、内側腰板付障子を大破し、ガラス八枚をこわした。
(証拠《省略》)
(3)瑞恩池の傍に整列し出発する前、集団の前部にいたものが火炎瓶、ラムネ弾各一本を付近の岩などに投げつけて燃焼させたり爆発させたりした。
(証拠《省略》
右に認定した燃焼爆発は試験的にしたものか、単に気勢をあげるためにしたものか、またその他の目的でしたものか不明である。)
(4)中野新太郎方では、先頭から四、五名が屋内に入り、約一〇分間にわたり竹槍、竹、棒などを振りまわしたり、石を投げこんだり、被告人夫徳秀が土足のまま座敷に上り「中野おらんか」とどなり、同康喜典が障子などをたたきこわし、またあるものは中野をそこにあつた薪割りを持つて追いかけたりし、障子戸、ガラス、腰板、桟などをこわした。その間同人方前庭に入つた集団の前部の四、五〇名の中にはこれを声援するものがいた。
(証拠《省略》)
以上の事実は、いずれも、多かれ少なかれ集団の性格を示す徴表としての意味を持つことは否定しがたい。ただ、米軍ハウスの点は、参集途上の一部による隠密の行動で集団の他のものにはほとんど知られていたとは認められないし、丘陵で、途中笹川・中野方に挨拶して行くとの演説をきいたものは,同人ら方において何らかの嫌がらせ程度のことが行なわれるであろうことを予測したと思われるにとどまり、しかも笹川・中野方や豊津巡査派出所の模様などは、何分相当長い隊列の中の、夜間または早朝、比較的短時間のできごとであつて、これらを目撃したり察知したりしたものは、集団の全体からみるときわめて限られたものであつたと思われる。
二、いわゆる「武装」について
「武装」について当裁判所はつぎのように認めた。
(一)校庭参集の集団について
(1)校庭において生野グループの一部のものの間に、火炎瓶や硫酸瓶の分配がなされた。
(証拠《省略》)
(2)石橋駅で乗車するまでに集団のうちに路傍の棒や石を拾うものがいくらかいた。
(証拠《省略》
検察官は、全体の一割位のものが竹槍や棍棒を持つていたと主張し、朴文鐘の検察官に対する昭和二七年七月三日付第一回供述調書を引用するが、同人のこの点の供述記載は前掲各証拠により直ちに信用できず、一割より遥かに少数であつたと認むべきである。)
(3)服部駅下車後丘陵集団と合流するまでの間に、警察官の襲撃があるから棒を持て、石を拾えという声もあつて、沿道の棒を取つたり路傍の石を拾うものもあり、また合流に際し丘陵集団の多数のものが竹槍などを持つているのを見てこれにならい、民家の軒下や路傍の竹や棒、石などを手にするものがいた。
(証拠《省略》)
(二)丘陵参集の集団について
(1)丘陵上では、竹槍を作れという声もあつて、警察官の攻撃に対処するため、近くの竹藪に入つて竹槍を急造したり、竹や木の枝などを持ち、石を拾うものも多数いた。また準備していた鉄片を竹の先につけたり、火炎瓶、パンク板を作るものがいた。
(証拠《省略》)
(2)行進中路傍などから竹や棒、石を手にするものがあり、瑞恩池休憩中付近から相当多数の竹や稲木を取つて手にした。
(証拠《省略》)
(三)合流後の集団について
合流後、ことに集団が産業道路上に出動の警察官を認めてから、さらに路傍の棒や石を持つたものがあり、ついで神社参道で産業道路上の警察官と対峙した際、多数のものは石を拾い、また火炎瓶、パンク板などを直ちに使用できるようにした。
(証拠《省略》)
かくして、集団が神社前産業道路横断直前の「武装」状況は、火炎瓶三〇本位 硫酸瓶一〇本位 濃硫酸とガソリンまたは揮発油入り瓶八本位 カーバイト入りラムネ瓶一〇本余 鉄片三〇枚位 パンク板六枚位 ゴムはじき二個 パチンコ玉四〇個位 目つぶし用唐辛子袋一〇個 竹槍、竹、棒計四〇〇本位(うち竹槍二〇本位、鉄片付紐竹二本位)のほか大多数のものが石を持つていた。
(証拠《省略》)
右のような「武装」は、集団示威行動としては、被告人らのいうように当時の集会や示威行進に対する官憲の弾圧に対処するものであつたにしても、なお異常、異例であり、本件集団の性格をよく示すものとして重視しなければならない。また竹槍などを持つたこのような集団が行動するときは、暴徒的集団として容易に警察官の干渉を受けるにいたることも明らかであろうし、このことは集団の多数も予期していたと認むべきである(《証拠省略》)。ただ、このように「武装」した集団の意図がどこにあつたかがつぎに検討されねばならない。
火炎瓶、硫酸瓶などをひそかに準備携行した一部の参加者には、あるいは当初から警察官らに積極的に攻撃を加える意思がなかつたとはいえないであろう。つぎに二〇本位の竹槍は、竹槍とはいうものの、ナイフなどで辛うじて先を尖らせた急造のもので、通常竹槍といわれているものとは程遠く大して威力のあるようなものではない。また竹や棒は、稲木や農家の垣に用いられていたと思われるものが大半であり、他は一米位の長さのものが多く、中には被告人が警察官の来たときの気休めのために持つたに過ぎないという(《証拠省略》)のにふさわしい程度の竹の端くれや木片類似のものもかなりあるのである。その他、鉄片、バンク板、唐辛子袋、ゴムはじき、パチンコ玉、石などにいたつてはあえて説明するまでもない。いずれにしても、これらの「武装」なるものは、集団としては警察官の出動に対処するためのものであつたことは明らかであり、とくに火炎瓶、硫酸瓶などについてはその攻撃的意図も観取されないでもないが、なお、全般的には防衛的なものであつたと認められる。
以上、神社前にいたるまでの諸種の行動や「武装」状況等を総合して判断すると、集団のごく一部に顕著な暴徒性のあつたことと、全体としては実力をもつて警察官の妨害を排除してあくまで本件集団行動の目的を遂行するという強固な意識に支えられていたことは認められるが、集団そのものに攻撃的・暴徒的性格を認めることはできない。
第三節 神社前より吹田駅にいたる集団の行動
各場面における暴行の規模、被害の程度等の客観的事実は、その大筋において検察官の主張とあまり大きな隔たりはない。暴行の規模について顕著に相違すると思われる点については、各場面において説明を加える。集団のうち、どのあたりのものが、何人位暴行などを行なつたかについては、検察官の主張と相当相違する点がある。このことは、暴行が集団そのものの暴行と見られるかどうかという意味で重要である。そこで、当裁判所は、これを慎重に検討したが、何分被告人らの所属グループ、隊列の順序等は必ずしも明確でなく、また証拠も単に隊列の前の方、後の方、または中ごろという程度のものがほとんどであり、被告人の供述にしても、自分より前の方で投石が行なわれたとか、自分らが通つたときは交番はこわされていたとかいう程度のものが多く、暴行したものの範囲、その所属グループ等の認定は証拠上きわめて困難である。
検察官は神社前以降の行動について
「集団の暴行等の規模、態様、時間的場所的関係、集団の構成等を総合して判断すれば、本件暴行等はまさに集合した多衆の合同力を恃むそれであつて、集団自体が暴行ないし脅迫の行為を行つたことが客観的にも認め得るところであり、共同意思の点に関し、神社前において、先頭のもので交渉に来た松本警視らに竹槍をつきつけ暴行脅迫してこれを声援するものや、この状況を目撃した集団の最前部付近の相当数の間では、すでに多衆聚合による暴行ないし脅迫について確定的な共同意思が成立し、この現状を知らない後方の多数もそのふん囲気と、各自武装を固め、強行突破せんとする意図を共通にしたと認められる事情から警察官側の出方如何によつては先頭にあるもの同様暴行ないし脅迫行為に出るべきことを予見し、自らその行為に出る意思ないしはこれらと行動を共にする意思を有していたものと認められるのであるから、共同暴行ないし脅迫の意思が成立していたものと解すべきであり、その直後の警備線突破の状況から判断して、集団の合流時前後までに漸次醸成されてきていた警察官に対する実力闘争ないし攻撃の意思はここにおいて集団全員が一丸となつて、あるいは暴行脅迫を行い、あるいはこれを支持認容してスクラムを組み警備線を突破する行動となつて発現したものであるから、もはや集団全体が暴徒と化し、多衆の合同力によつて暴行脅迫をなす共同意思は明らかに集団全員にもれなく存在していたものと認められる、そしてその後吹田駅にいたるまでの各個の暴行ないし脅迫をしなかつたものについても、集団員全員はこれらの暴行脅迫を目撃または察知しながらこれを認容し集団一体となつて行進したものであるから共同意思の継続が認められる」
と主張する。
以下、当裁判所は、集団の神社前より吹田操車場退出時までならびに最後の国鉄吹田駅の状況と、産業道路上におけるクラーク准将より片山西巡査派出所までの状況に分けて検討し、その認定した事実と判断を示すことにする。
一、神社前より吹田操車場にいたるまでと国鉄吹田駅における状況
(一)神社前のいわゆる警備線突破
すでに第二章で述べたように、産業道路上の警察官が参道上を神社前鳥居の近くまで行進して来た集団と相対したとき、集団の操車場突入阻止の命を受けていた松本三秋・吉井粂治両警視が集団に近づき、集団に対し「責任者を出せ。代表者はいないか」と呼びかけたが、集団から「全部が代表者だ」「天下の道路を通るのがなぜ悪い」などと口口にどなる有様であつて、集団には交渉に応ずる気配はなかつた。そこで松本警視らは、交渉の結果集団を解散させることはできないとあきらめ、つぎの対策を考えるため引き返えした。集団は立ち去る両警視の後を、八列にスクラムを組み前進を始めたので、産業道路上にいわゆる警備線をしいていた警察官三六名は集団の勢威に押されて早々に「八」の字に開き(うち一名の警察官は集団の進行をちよつと制止しようとした)、集団はその間を横断し、その先頭が産業道路を横断し終えたころ、被告人夫徳秀の駈足の号令でいつせいに走り出し、続く列中のものも八列のスクラムのまま、かん声をあげて横断し終えた。この横断の際、集団の中程から後部にかけて一部のものから両側で傍観していた警察官に少数の投石があつたが命中しなかつた。またそのあたりの一名が道路上京都寄りの方に火炎瓶一本を投げて燃焼させた。
(証拠《省略》
検察官は「両警視に対して金属製の穂先のついた竹槍をつきつけて脅迫し」、また横断の点につき「ポリ公帰れと叫び、さらに多数の石を投げつけたり、あるいは京都寄りの東側に対し火炎瓶二本位を投げ、そのうち一発は三〇米位東方に停つていた国警ウイポン車めがけて投げつけ、また西側に対しては硫酸瓶と思われるもの三発位を投げつける等先制攻撃を加え、警察官を圧倒して一挙に警備線を突破した」と主張する。しかし、前掲証拠を総合すると、「ポリ公帰れ」などの罵声を発したものがいたこと、警官隊が勢威に押されたことのほか、少数の石、火炎瓶一本を投げたことは認められるが、その他の主張を認めることはできない。すなわち、金属製の穂先のついた竹槍をつきつけて脅迫した点については、右両警視のその旨の供述記載があり、また前掲写真三葉〔昭和三〇年裁領第三三一号〕のうちの三によると先頭付近の者にそのような物を持つていたものがいたことはうかがわれるが、同写真によつてもそれが最先頭のものとは必ずしもみられないこと、両警視のこの点に関する供述相互間に微妙な食い違いのあること、松本警視の供述の経過〔主尋問では当初この点に触れていない〕及び集団の先頭付近にいたもののうち一人としてそのような供述をしているもののいないこと等を総合すると、右脅迫の事実を認めることには証拠上疑問があり、投石もすぐそこにいた警察官に当つていないことからも多数あつたとはいえないし、東側に対し投げたと主張する火炎瓶二本のうち当裁判所が認めた一本も、前掲実況見分調書により認められる落下地点と前掲証人栗岡勝治の供述記載により認められるウイポン車の停車位置とは相当離れていたことからみて、これに対して投げたものか疑わしく、他の一本についてはその証明はない。さらに、右実況見分調書、司法警察員秦健男の神社前における領置調書、前掲理化学鑑識復命書と司法警察員桃原秀輔の昭和二七年六月三〇日付領置調書、井原孝外一名作成の同年八月二〇日付理化学鑑識復命書及び押収してある瓶破片〔同二八年裁領第五八三号の三〇〕・液体入り小瓶〔前同号の三五〕等によりその存在が認められる西側に対して投げられたという硫酸瓶と思われるものについても、その痕跡は前掲吉井警視の供述により認められる西側大阪寄りに集結していた警察官の位置とはかなり隔たりがあるうえ、その警察官のうち一人として目撃したものがないことより、横断時に集団から投げられたものとは認められない。〔これは、集団がその後吹田操車場を出てこのあたりを行進中投げられたものではないかと思われる。〕横断時の模様は、当裁判所が右に認めたとおりであるから、もとより検察官の先制攻撃という主張は当らない。)
以上が神社前産業道路横断前後の模様である。検察官は、この時点をもつて集団が現実に暴徒と化したもので騒擾罪の始期であると主張する。産業道路上に出動した警察官を見た集団は、あくまで吹田操車場に進出して行動する企図を放棄することなく、これを阻止または解散させようとする警官隊との間に紛糾を生ずるであろうことは必至であると考え、さきに「武装」のところで述べたような防衛態勢を整えたものであつて、警官隊の出方いかんによつては集団による暴行脅迫の事態の発生にいたるであろうとの予見はなかつたものとはいえない。(《証拠省略》)
しかしながら警察官は、現実に制圧行動に出ることなく、集団の勢威に押されたとはいえ、いわゆる警備線を自ら開き、集団は警察官の傍観する中をスクラムを組み産業道路を横断したものであつて、その際における集団のごく一部のものによる投石などがあつたが、この暴行はもとより集団の共同意思によるもの、いわば集団そのものの暴行とはとうてい認められないし、この横断行為そのものを騒擾罪の暴行脅迫と見ることも困難である。
(二)竹の鼻ガード
集団は、その後四列縦隊にもどり吹田操車場に向つて行進を続け、味舌町竹の鼻ガードの手前約一〇〇米の地点に進んだとき同ガード上に小林博之巡査部長ら吹田署員など二六名が警備しているのを発見し、ここをくぐり抜ける場合あるいはこれらの警察官により挾撃されるのではないかとおそれ一時停止したが、被告人三帰省吾らが協議の末一気に通過することとし、同被告人の号令で三列になりスクラムを組み駈足でくぐり抜けた。その際集団の中に警察官に「売国奴」などとどなるものがあり、また前部にいた朝鮮人らとその後に続く民青グループの中から唐辛子袋一個とかなりの数の石が投げられ、後部生野グループあたりからは火炎瓶一本を投げつけて四名の警察官の顔面等に治療二週間ないし三週間を要する火傷などを与え、そのほかカーバイト入りラムネ瓶、火炎瓶と思われる電球各一本を投げつけるものがあつた。
(証拠《省略》
検察官は五、六〇個の投石があつたと主張する。投石数について前掲証人松岡巡査は五、
六〇個、同小林巡査部長は四、五〇個、同親川巡査は数十個と供述している。しかし投石数についての同人らの供述には誇張がないとはいえず、四、五〇個ないし、五、六〇個というのはやや多きに過ぎると思われる。)
ここでは火炎瓶など三本のほか投石の数もやや多く、暴行の規模としては必ずしも軽視しがたい。しかしながら、集団としては警察官の上から見守る中をスクラムを組み一気に駈足で地下のガードをくぐり抜けようとしたもので、検察官の主張するように、投石などによつて先制攻撃を加えて突破したと見るべきではない。このことは、前示のように唐辛子袋や投石の始まつたのは先頭からある程度のものが地下道に入つた後であることからも明らかであるし、また火炎瓶を投げたのは、前示のように集団の後部生野グループあたりのものであるが、この行為に対しても集団内で難詰するものがいたことが認められるからである(梁之鐘の検察官に対する第一回供述調書)。従つて、これらの暴行は集団の共同意思によるいわば集団そのものの暴行と認めることは困難である。
(三)岸辺駅
神社前で、集団の行進を阻止できなかつた松本警視以下の警官隊は、東方から千里丘ガードを経て吹田操車場南側道路に出たが、集団が竹の鼻ガードを出て西折したため、警官隊は集団によつて分断された格好になり、その主力は集団の後方を追尾し、先行の松本警視ら一名は、集団が岸辺駅から吹田操車場に突入するものと考え、数名の鉄道公安官とともに岸辺駅を警備していた。岸辺駅として鉄道公安官から集団の接近を告げられ、貴重品類を金庫に納めるなどし、駅正面の踏切の開閉機を下ろし、乗客七、八名を物陰に避難させた。間もなく集団は同駅南側道路を西進したが、その際その多数はこの警察官らに罵声を浴びせ、先頭より少し後方のものと後部にいた生野グループあたりの少数のものがこれらに対しいくつかの石を投げたが当らなかつた。
(証拠《省略》
検察官は、先頭近くのものから警察官らに対し口口に罵声を浴びせ、次次と投石しその一部が警察官に命中し、投石は待合室内に投げられたものだけでも約三〇個を数えたと主張する。しかし、前掲証人松本警視も供述するように先頭あたりで投石がなかつたこと、石が警察官に命中したと認めるべき証拠のないこと、投石数についても右松本警視はさかんに投石して来たと供述するが前掲証人日高助役はあとで待合室を見ると二、三〇個の石が落ちていた、石が落ちていたのは待合室だけであつてそのほかは余りなかつたと供述している〔検察官の論告における同証人の供述の引用は誤まつている〕こと、さらに駅舎の窓ガラスなど全くこわれていないうえ、待合室に落ちていたという石も押収されていないこと等からみると、それほどの投石があつたとは認めがたい。)
岸辺駅における暴行は、比較的軽微で、また集団のいわゆる共同意思に出たものとも認められない。
(四)吹田操車場内
集団は吹田操車場内に侵入し構内を行進したのであるが、先頭が上り方向線別中央詰所付近にさしかかつたころ、先頭にいた被告人夫徳秀が隊列を離れて有蓋貨車の車票(米軍貨物の場合その標識がある)を見、続いて無蓋貨車の車輪のスプリングにとび上り中をのぞきこんだり、あるいは詰所の前にいた鉄道職員に軍需列車の所在をたずね、同じく先頭付近にいた被告人康喜典も同様たずねた。集団が第三信号所前を通つたとき、集団の二名位が鉄道公安官の一人に「われ公安官か、殺してしもたろか」とやじつたり、職員に「佐藤駅長を出せ」など叫んだ。またそのころ同信号所の二階から、集団の言動に反感を持つた職員の一人市田久雄が、窓下を通過する集団に向つて「なんだ」と叫んだのに対し、集団内のあるものが竹の棒二本と石一個を投げつけ右投石によつて窓ガラス一枚をこわした。
(証拠《省略》
検察官は、集団の先頭近くの者が第三信号所付近等において警備中の警察官に対して投石したと主張する。第一九二回公判の証人市田孝、第二五三回公判の同出上桃隆の各供述、被告人金奉善の検察官に対する供述調書等には右の主張にそうかのような供述があるが、警察官に対し投石がなされたという地点が明らかでなく、他に警察官に対する投石を認むべき証拠はなく、かえつて前掲証人石上彦熊の供述によると第三信号所付近にいたのは鉄道公安官であるが公安官に対しても投石はなかつたことが認められるのであり、右主張は採用できない。)
右の第三信号所に対する石や棒は、前掲証人市田久雄が「私自身に投げられたように思う」と供述しているところからも認められるように、むしろ私闘というべく、とうてい集団の共同意思にもとづくものとはいえないし、その他の前示のような言動は暴行脅迫に当らない。
ただ操車場構内に侵入して行動した点は、鉄道営業法第三七条に触れ、建造物侵入が騒擾罪の暴行に当るとされていることとの対比において多少問題になろうが、暴行の概念をそこまで拡張することは相当でない。
(五)国鉄吹田駅
吹田駅においては、九一一列車の三両目車内にいた集団参加者の一人が、拳銃を構えて逮捕のため後部デッキを押し開けて入つて来た岩村正顕・永井実充・浅尾稔ら三名の警察官に対し火炎瓶一本を投げつけて治療に一二、三日から二箇月半を要した火傷を与えた。また逮捕に当つた警察官に対し、下りホームで火炎瓶二本、石一〇個位や棒など、上りホームで石一〇個位などを投げるものがおり、車内に押し入つた右浅尾巡査に棒で殴りかかるものがいた。
(証拠《省略》
検察官主張の、下りホーム上で検挙に向つた警察官に対し、二、三〇名ないし三、四〇名の暴徒が竹槍などを構え攻撃する気勢を示して脅迫したとの点は認めなかつた。旅客主任西野太治郎の昭和二九年五月一三日の証人尋問調書のこの点の供述は、同人がそのように感じたという推測にすぎないし、他にこれを認める証拠はないからである。
その他検察官の主張する、警察官に対する暴行脅迫の点、下りホームにおける硫酸瓶等や南側柵側の火炎瓶等は、いずれもこれが警察官に対しなされたとは認めがたい。
第二章で述べたように集団参加者三名が警察官の拳銃発射により負傷したことについて、検察官は、拳銃を発射したのは森川外一名の巡査であるが、これは、集団から火炎瓶攻撃を受け身体生命に対する危険を避けるための自衛上の行為であり、拳銃発射は集団のうちにも行なつたものがあり右負傷のすべてが警察官の発射した拳銃弾によるものとはいいがたいというが、吹田駅で集団参加者が拳銃を発射したと認むべき証拠はない。また森川巡査の拳銃発射が自衛上のものであつたかどうかの点につき、同巡査は「自分が車内に入ろうとした際火炎瓶を投げつけられたことに対する自衛上やむをえず拳銃を発射した」と供述する〔第三六一回公判〕が、同巡査が火傷を負つていないこと、前掲九一一列車に対する実況見分調書・瓶破片・鑑識結果復命書によると車内における火炎瓶の燃焼は三両目後部の一箇所のみであつて、車内で火炎瓶により火傷を負つたという岩村・永井・浅尾三巡査の各供述を総合すると森川巡査が右三巡査の近くにいたとは認められないこと等からみて、森川巡査の拳銃発射は、自らはもとより右岩村ら三巡査に投げられた火炎瓶に対して自衛の措置としてなされたものでないことが明らかである。)
吹田駅における事態は、一般乗客に大混乱を来し、相当の恐怖感を与えたものであるが(《証拠省略》)、これはすでに、第二章で述べたように一般乗客についで乗車を終えていた集団参加者を警察官がいつせいに検挙しようとしたのに対して前示のように集団参加者が抵抗したことに由来するものであつて、集団のなかには、第二章で述べたように吹田駅に到着する前に隊列を離れたもののほか、同駅前で解散したとして別個の行動をとつたもの、また同駅構内に入る前にもいわゆる「武器」を捨てるものがいたこと等から考えると、当時集団行動は終つていたものと認むべきであり、(証拠《省略》)前示の暴行は、集団参加者が逮捕を免かれるため個別的に抵抗したものというべく、また第二章で述べたように八車両に分乗していた状況からみても集団として行動し得る状態でもなかつたので、これらの暴行を集団の共同意思に出た集団そのものの暴行と目すべきではない。
二、産業道路上、クラーク准将の場面から片山西巡査派出所までの状況
結局、問題は、残る産業道路上の一連の行動に帰するのであるが、これらは時間的・場所的に比較的接近し、その暴行の規模、態様も重大であるので、以下当裁判所の認定した事実をやや詳細に述べ、後に一括してこれに対する見解を示すことにする。
なお、産業道路上行進の集団隊列の順序は、必ずしも明確でないが、おおむね、先頭グループに民青グループから出た九名位。相当多数の、主として朝鮮人のグループ。民青グループ七〇名位。阪大、外大らの学生グループ五〇各位。東淀川グループなど五〇名位(以上丘陵参集者)。多数の、学生、労働者、朝鮮人など。関西合唱団員ら一〇名余。生野グループ一〇〇名位。上二病院グループなどの救護班員その他計二〇名位。中西グループ三〇名位(以上校庭参集者)。最後尾山田グループ四〇名位(丘陵参集者)の順で行進したものと思われる。(右のほか、その所属ならびに位置不明のもの相当数があり、また片山西巡査派出所前を過ぎたころ、先頭グループの若干名が最後尾にまわつた。)
(証拠《省略》)
(一)クラーク准将乗用車
(1)同自動車が集団の先頭を過ぎて間もないころ、民青グループから後方のもので、この自動車に駐留軍軍人が乗つているのを見つけ「アメリカ人だ」「ゴーホームヤンキー」「アメ公帰れ」と叫び、後部にいた生野グループあたりで「アメ公や、やつちまえ」などとどなるものがいたが、民青グループと生野グループあたりのものがさして多数でない石を、民青グループあたりのものが棒二、三本をそれぞれ自動車めがけて投げつけ,右石または棒の一つがヘツドライトホルダーに当つた。
(2)集団の後部のものが長さ約七六センチ、直径約七・六センチの枯木様の棒一本を投げつけ自動車前部窓ガラスに突き刺した。
(3)生野グループ後部あたりにいたと思われるものが硫酸瓶一本を投げつけ前部窓ガラス付近に命中させて硫酸を車内一面に飛散させ、クラークの顔面等に治療約一九日を要した腐蝕傷を負わせた。
(4)生野クループ後部あたりのものが火炎瓶一本を投げつけたが当らず路上に落ちて燃焼した。
(証拠《省略》
検察官は、相当数の石、竹槍、棒等を投げつけたと主張するが、前掲クラークの供述書〔原文〕によるも相当数の投石があつたとは認められないし、棒などの点についても、今枝正寅の第三六回公判の証言と検察官に対する供述調書の間には、その数についての供述に食い違いがあるばかりでなく、同人が見たという位置は、集団が坪井ガード付近から産業道路に出た地点からさらに京都寄りに約二〇〇米も離れた地点であると認められるので同人の棒などの数についての供述は信用しがたい。
なお、検察官は、論告において、李相哲の合意書を引用するが、同人の投石を見たという時期地点は必ずしも明らかでない〔検察官は論告において、右合意書をビーヌ軍曹らの自動車に対する場面の証拠にも引用している〕。)
(二)茨木市警ウイポン車
(1)ウイポン車が集団の最後尾あたりにさしかかつたとき、集団の後尾近くのものの間から「ポリ公が来たぞ」「やれやれ」などの声があがり、拳大の石、瓦など一〇数個位が投げられ、荷台に乗つていた警察官五名位に当つた。
(2)引き続き集団の後部あたりから「馬鹿たれや」などの罵声があがり、生野グループの後部付近のものから、たて続けに火炎瓶および硫酸瓶と思われるもの計七本、カーバイト入りラムネ瓶一本、竹様のものがウイポン車に投げられ、火炎瓶は運転台屋根前端左上部の投光器、荷台上方の幌枠、ボデイ左側板ガソリン注入口付近に各一個ずつ、硫酸瓶と思われるもの一個はボデイ左側板にそれぞれ命中した。なお、そのほかカーバイト入りラムネ瓶一本が投げられ同車荷台上に落下したが、これは集団のどのあたりのものが投げたものか不明である。
(3)右命中した火炎瓶は発火燃焼し、硫酸瓶と思われるものは割れ、荷台にいた警察官は火炎や硫酸の飛沫を浴び大混乱に陥り、運転台や運転台外側のステップにいた警察官も硫酸の飛沫を受けたものがあり、その結果乗つていた警察官らの全員に近い二七名は全治二、三日から約五〇日間の入院加療を要した火傷等を受けた。
(4)荷台にいた警察官は、一部を残しつぎつぎに火炎や硫酸の飛沫を避けようとして車外にとびおりたり、車の急停車と急激な発車のはずみに振り落されたり、混乱した同僚に押し出されるように落されたりなどして路上に転落した。
(5)中村得志巡査部長は岸部消防出張所西隣の壺井哲方前の溝付近で人事不省に陥り、小田切恭蔵巡査は、同人方前舗装路面上に転落したところ、この両名に対し、生野グループあたりから二〇名位のものが押し寄せ、うち数名は両警察官を取り囲み、足蹴にしたり竹槍、棍棒などでたたき、中村巡査部長から拳銃一丁と実包六発を、小田切巡査から拳銃一丁と実包五発を奪つた。
(6)壺井方表階段を駈け上り逃げ込もうとした江口昭生巡査に対し、集団の後部あたりのものが電球製火炎瓶一本を投げたが当らなかつた。このほか壺井方西方産業道路北側の民家や露地に逃げ込もうとした警察官らに対しても火炎瓶一本位といくつかの石や鉄製ナツト一個を投げつけるものがいた。右鉄製ナツトは桑原方襖二枚を貫通した。
(7)ウイポン車が壺井方西方四軒目の看板屋の地点付近で急停車した前後、その付近の集団の中から二、三名がウイポン車を追いかけ、運転台左側ステツプに乗つていた末永国丸巡査の左背部を棒で一回たたいた。
(8)二村新吾、神崎康治、薬師神真男各巡査は壺井方から西方六軒目の豊田方前付近でとびおり北側の水田の方に逃げ込もうとしたところ、民青グループあたりの一〇名位が駈け寄り、うち数名は二村巡査の頭を竹で一回位、神崎巡査の左肩を棒様のもので一回位それぞれたたき、さらに二、三名ないし五、六名が両巡査を追いかけた。
(9)ウイポン車が集団の先頭を通り越そうとした際、民青グループあたりから先頭にかけて、これに対し若干の投石がなされた。
(10)最初集団の後尾付近から「警官の車が来たぞ」という声をきき、集団の中には左側の田圃の方に逃げ始めるものがあり、また集団内の相当数のものは火炎瓶が投げられた後拳銃一発の発射音をきき、警察官の武力行使を恐れて左側の田圃や露地や付近の民家の南側に逃げ込んだ。間もなくそのほとんどのものは再び隊列に復帰したが、その途中火炎瓶を捨てるものがいた。
(11)ウイポン車の進出に動揺したりまた右のように逃げるものがいたりしたため集団の隊列は一時相当乱れたが、指揮者の指示もあつて集団は間もなく元のように隊列を整えて行進を続けた。
(証拠《省略》
検察官は、まず隊列後尾の者達がウイポン車をとり巻くように押しかけ投石を始めた、と主張し、針馬公安の昭和二九年二月一二日の証人尋問調書を引用するが、同証人が右状況を目撃したという位置は現場から相当離れており〔同証人は国警大阪府本部の警察官で情報連絡班員として、デモ隊の後方大体五〇米位を追尾したと供述するが、同人が見たという位置は、当裁判所の同年七月一三日の検証調書添付第八図を参照すると、岸部消防出張所より百数十米東方であつたことがうかがわれる〕、その認識も不正確を免れないし、同出張所の消防士、付近住民やウイポン車上の警察官らの供述等からみても、検察官主張のような事実はこれを認めることができない。
つぎに、検察官は、投石数は多く、警察官のうちには多いもので一〇個近く、おおむね四、五個の石に打たれたというが、警察官のこの点の供述には誇張されたと思われる節もあり、付近にいた第三者の供述、ウイポン車上で押収された石の数〔司法警察員深海阪太郎作成の昭和二七年六月二五日付領置調書(物件符号一四五のあるもの)、押収してある石塊六個(同二八年裁領第五八三号の四八)〕などを総合すると、検察官の主張する程多数であつたとは認められない。
つぎに火炎瓶などについて、検察官は、集団は数発の火炎瓶等を連続して投げつけ火炎瓶は八個位が命中発火したと主張するが、前掲深海阪太郎作成の実況見分調書・八月三〇日付理化学鑑識復命書〔鑑識資料符号一一六ないし一一六のあるもの〕を総合すると、投光器、幌枠、左側板ガソリン注入口付近に各一個ずつの計三本の火炎瓶、左側板に硫酸瓶と思われるもの一個がそれぞれ命中したことが認められ、前掲秦健男作成の実況見分調書・七月七日付理化学鑑識復命書を総合すると、壺井方前の、ウイポン車が進行したと認められる産業道路中央線北側に瓶の破片を伴なう斑痕が四個存在し、そのうちの一個にカーバイト、他の三個に硫酸が各付着していることからみて、ラムネ弾またはカーバイト入りラムネ瓶一本と火炎瓶もしくは硫酸瓶と思われるもの三本が投げられたがウイポン車に命中せず路上に落ちたことが認められ、また前掲深海阪太郎作成の実況見分調書・八月三〇日付理化学鑑識復命書〔鑑識資料符号一四四の(3)のあるもの〕・ラムネ瓶破片〔昭和二八年裁領第五八三号の四六〕によると、ウイポン車上でカーバイト入りラムネ瓶一本が割れているが、車上の警察官らでラムネ弾爆発による創傷を受けたものがいたとの証明がないから右瓶は単なるカーバイト入りラムネ瓶であつたと認めるほかないので(2)のように認めた。そのほか、司法巡査寺師三郎作成の同二七年六月二九日付領置調書、押収してある液体入り瓶〔同二八年裁領第五八三号の一一〇〕、前掲八月二〇日付理化学鑑識復命書〔鑑識資料符号一七四のあるもの〕によると、硫酸瓶一本が吹田市岸部小路四一番地の二壺井莫夫から提出され、司法警察員吉本経継作成の同二七年六月二五日付領置調書、押収してある液体入り瓶〔前同号の一〇一〕、前掲八月三〇日付理化学鑑識復命書〔鑑識資料符号三四のあるもの〕によると、岸部消防出張所西隣の壺井史郎方前からも硫酸瓶二本が押収されているが、右計三本は、いずれも落下地点が明らかでなく割れてもいないから集団のどのあたりのものがどのような目的で投げたのかあるいは捨てたものかを判断しがたい。
また、道路上に転落などした警察官に対する暴行について、検察官の「東淀川グループのものも加わつた」と主張する点は、前掲証人竹本哲雄・高橋鎮雄の各供述により同グループからも二、三名が暴行を加えようとして接近して行つたが途中で引き返したことが認められるのであり、他に右主張を認めるに足る証拠はなく、同じく、「火炎瓶を蹴つて当てた」と主張する点は、前掲被告人金好允の検察官に対する供述調書にこれにそう記載があるが、同人はこれに反する供述をしているうえ、前示小田切巡査の顔面部火傷はウイポン車上の火炎または硫酸によるものであることが明らかであるので、この点についての証明は十分でない。
最後に、検察官は、前示拳銃発射は、拳銃を奪つた集団の一人が行なつたものであると主張する。前掲任鉄根の証人尋問調書には「拳銃を取つた人が空向けて撃つているのを見た」旨の記載があるが、同人が見たというのは隊列から左に外れて逃げていた際で、その認識において不正確を免れないし、また被告人洪鐘安の検察官に対する供述調書には「倒れている警官の腰のあたりから拳銃を抜き取るなり上に向けて一発発射した」旨の記載があるが、同人は昭和三二年六月二六日の証人尋問調書において「転落した警察官のところに五、六人走つて行つたが何していたか見ていない。そのとき隊列が乱れて自分も皆と一緒に逃げたのでその後のことは判らない」と供述してこの点を否定しているうえ、他方、警察官池田実の証人尋問調書中「はじめ装填してあつた弾丸数よりも二発足りなかつた」、同小野竜郎の同じく「拳銃発射音を聞き産業道路に出ると池田実巡査が真青な顔をして右手に拳銃をぶらさげていた」、同神崎康治の同じく「身の危険を感じ拳銃を発射しようと考えた」との各供述を総合すると、あるいは右池田実巡査が発射したのではないかと疑われるので、右主張は採用しない。)
(三)岸部巡査派出所
(1)集団の先頭部が同派出所前を通り過ぎたころ、被告人三帰省吾の制止にかかわらず、その後に続く朝鮮人らと民青グループおよび後方の生野グループの各一部のものが石、瓦片等二八個位を、また民青グループの被告人木沢恒夫がラムネ弾一本をそれぞれ同派出所に投げた。
(2)右と前後して右朝鮮人らと民青グループのうち各二、三名と生野グループのうち一〇名近くのものが順次、行進を続ける隊列を離れて同派出所に行き、棒などで門灯、窓、戸障子などをたたいたり突いたりしてこわし、表の標札を引き外した。
(3)また、そのころ「電話器を放り出せ」と叫ぶものがあり、右生野グループの二名位が電話線を引きちぎり電話器を持ち出し表路上にたたきつけてこわし、さらに同所内にあつた自転車二台を持ち出し、うち一台は四〇〇米位西方の白洋舎付近路上で二名によつて踏みつけられ、他の一台は民青グループ北野高校班の陳沢伊によつて派出所前溝に投げ込まれた。
(4)右暴行により、派出所の窓ガラス三〇枚位、窓桟の多数がこわされ、私宅内部に通ずる腰板に穴があけられた。
(証拠《省略》
検察官は、先頭の方からつぎつぎと石、ラムネ弾等を投げつけ、ついで朝鮮人ら、民青グループ南北班、同北野高校班、生野グループから棒を持つた数名ないし一〇名位のものが入れかわりたちかわり襲つたと主張するが、前掲証人沢口逸男・島原勲と同被告人三帰省吾の各供述から最初に石などを投げたのは朝鮮人らであることが認められるが、先頭グループが投石などを行なつたと認める証拠はなく、その他検察官の右主張を認めるに足る証拠もない。〔検察官はこの点について、論告において木下捨吉の検察官に対する供述調書中の刑事訴訟法第三二一条により証拠とされない供述記載を引用する。〕
また検察官は、不発のラムネ弾三本も投げられたと主張し、これにそう前掲証人木下捨吉の供述を引用するが、いずれも押収されていないうえ、これが果して不発のラムネ弾といえるか、単なるラムネ瓶にすぎないものか、また集団の投げたものか疑問である。)
(四)ビーヌ軍曹らの乗用車
(1)集団の先頭あたりの二、三名がまずこの自動車を発見し、「これくそ」といつて石二、三個を投げつけ、うち一個を命中させ、この石は運転台の前部窓ガラス右側部を貫通した。
(2)ついで、その後方にいた民青グループ春日丘高校班より前あたりにいたものが棒二、三本を投げつけ、うち先の尖つた長さ六〇センチ位の棒一本を右ガラス右側部に突き刺した。
(3)自動車が集団の後尾通過の際、集団の最後尾を行進していた山田グループからも投石するものがあつた。
(証拠《省略》
検察官は、右のほか、東淀川グループの前及び生野グループのものも石などを投げたと主張する。この点に関する前掲畠山晴夫の合意書の「前の方各部隊から投石等があつた」旨の記載は、その余の前掲各証拠に照らしとうてい信用しがたく、また李相哲の合意書の「私より後約一〇米位の隊列から誰かが投石した」旨の記載は、同人の見たという時期・地点が明らかでない。〔検察官は、論告において、右李相哲の合意書の供述記載部分を、クラーク准将乗用車に対する場面にも重ねて引用している〕。その他生野グループからも投石などが行なわれたとの証拠はない。)
(五)片山東巡査派出所
(1)集団の先頭が同派出所前を通過した際、そのすぐ後方にいた朝鮮人らのうち前部の一名が「ここにも交番がある」というと、近くのものもいつせいに「交番がある」「つぶせつぶせ」と叫び、いくつかの石や瓦片を同派出所に投げつけた。
(2)その直後右朝鮮人らとその後に続く民青グループのうちから計一〇名近くのものが行進する隊列を離れ同派出所に駈け寄り、列中から被告人夫徳秀と思われるものらの制止する声もあつたが、同所の窓やガラス戸をたたきこわし、うち一名は同所内にあつた自転車一台を引つぱり出して前の溝に放り込んだ。
(3)その後方の東淀川グループのものもいくつかの石を同派出所に投げつけた。
(4)さらに、生野グループからも「やれやれ、やつてしまえ」という声援もあつて同様いくつかの石などを投げつけ、そのころラムネ弾一本も投げ込まれ爆発した。さらに生野グループの一〇名近くのものが同所に駈け寄り、列中から制止する声もあつたが、棒などで前同様の暴行に出、うち二、三名が同所内の電話器を引きちぎつて前路上にたたきつけてこわし、電話帳一冊を破り捨てた。
(5)右暴行により、同派出所は、公廨表入口の腰板付障子二枚とそのガラス六枚と桟の全部、表入口上部の欄間窓ガラス全部、公廨内北側の窓の障子二枚とガラス六枚と桟の全部、炊事場と便所に通ずる通路の出入口の障子のガラス全部と桟および腰板の一部がいずれも破壊され東側の障子は落され、右通路上部の壁五、六ヵ所に穴があけられ、奥休憩室入口の障子のガラスも半ば破壊され、表の標札は外された。
(証拠《省略》
検察官は、右のほかに民青グループ北野高校班からも投石が行なわれたと主張し、同班に属した市田孝の第一九二回公判の供述を引用するが、右グループが右派出所通過の際、前示のようにそのすぐ前にいた朝鮮人らの中で同所に駈け寄つて暴行をなすものがいたのであるからそのすぐ後方に続く民青グループから投石が行なわれたとは考えられないし、その他同グループに属した木沢恒夫の第二五一回、酒井忠雄の第二五九回、李樹寛の第一八五回、山田拓の第二一〇回各公判の供述に照らしても右市田の供述は信用しがたく、右主張は採用できない。
また、検察官は、東淀川グループに属した者も隊列を離れて右派出所で暴行したと主張し、同グループに属した高畠和一、片原サムヱの各合意書を引用するが、右高畠は合意書でこの点について「私の班のすぐ後あたりから一人の男がとび出して行つて棒で戸等を殴つているのをちらと見た」と供述するようにその認識は不正確であり、右片原は合意書でこの点について「五、六人の朝鮮人らしい連中が私の前後からとび出して行つた」と供述するが、東淀川グループに朝鮮人もしくは朝鮮人らしいものがいたとの証拠はないから、右主張も認められない。
さらに、検察官は、石等六五個が投げられたと主張する。なるほど前掲実況見分調書添付見取図(二)には数十個の石や瓦片が散在しているように描かれているが、同調書本文四、には石ころ、瓦片各若干が押収されたと記載されているだけであり、同調書添付写真第三、四、五、七、八によつても石などが六五個も散在していたとはみられず、かつ右実況見分は被害から約一昼夜半経過後になされ、外された標札もすでになくなつていることからみて、いわゆる現場保存が完全であつたとは考えられないので、前掲各証拠に照らし右主張はその証明が十分でない。)
(六)片山西巡査派出所
(1)集団の先頭が同派出所前を通過したころ、そのすぐ後方の朝鮮人らの間から「交番をこわせ」という声とともに近くの列中で「ワアーツ」という声があがり、これに続いて一〇名前後のものが派出所目がけて投石した。
(2)その直後、引き続いて右朝鮮人らのあたりの五、六名ないし一〇名位までのものが行進を続ける隊列を離れ、産業道路を横切つて同派出所に駈け寄り、棒でそのガラス、障子、門灯をたたきこわし、また同所内にあつた自転車一台を引きずり出してこわした。
(3)集団の後部にいた生野グループあたりの二名位が電話器を引きちぎつて持ち出し路上にたたきつけてこわした。
(4)右暴行により、同派出所は、表入口の障子は二枚とも外され、ガラス六枚全部、桟、腰板が破壊され、入口西南側半間の窓の障子は二枚とも外され、上部欄間窓のガラス四枚全部、門灯の笠、電球も破壊され、東北側空地に面した障子はほとんど外されそのガラス全部は破壊され、便所への通路の開き戸のガラスも破壊された。
(証拠《省略》
検察官は、先頭から五、六列目位までのもの約二四、五名が列を離れて派出所に向い、一人の男の合図に従い、喚声をあげて、まず四、五名が投石をはじめ……さらに合図によつて隊列に引きあげたと主張し、前掲証人川端時治の供述を引用するが、同証人及び前掲証人片山マサオも「先頭が派出所前を通過してから暴行が始まつた」と供述し、また集団の先頭グループに属した前掲証人島原勲も「こわしているところはみていない」と供述していること等からみると、右川端証人のこの点の供述は単なる推測にすぎず、前掲吉本弥寿子の供述に照らしてもとうてい信用しがたい。
つぎに、検察官は、民青グループ北野高校班や東淀川グループのものも暴行したと主張する。なるほど、同高校班に属した市田孝は第一九三回公判において「自分より前のデモ隊員の投石を見た。そのなかに私の近くにもいたように思う」と供述し、同田中伸一は第一九四回公判において「自分より少し前の者が投石していた」と供述し、同李樹寛は第一八六回公判において「前からも後からもで、どこの位置とは一概にいえないが投石していた」と供述するが、前掲市田も「交番所の中に朝鮮人二人程がとびこんでこわした」と供述しているところからみて、同高校班が派出所前を通つたころ、前示のように前方の朝鮮人らの中に同所で暴行しているものがいたのであるからそのすぐ後を七〇名位で四列を組んで行進する民青グループに属する北野高校班から同所に向つて投石が行なわれたものとは認めがたいし、同グループより後方にいた東淀川グループに属した高畠和一の第二二七回公判における「ずつと前の方でこわした」との供述、また同井内秀雄の合意書の「前の方からこわした」との記載などから、直ちに北野高校班のなかに派出所における暴行に加わつたものがいたと認めがたいことはいうまでもない。〔この点に関し、検察官は、前掲市田の「陳沢伊(北野高校班員)が交番内に入り自転車を持ち出し前の溝に投げ込んだ」との供述を引用するが、右市田は「それは何処の交番であつたかおぼえない」と供述しており、前掲付近住民の証言や実況見分調書における自転車の存在位置からみても同人の供述はとうてい信用しがたい。〕また、東淀川グループより後方にいた生野グループに属した柳志浩の第二七三回公判における「前の方の者が破壊した」との供述のみから直ちに東淀川グループのなかに暴行に加わつたものがいたと認めることもできない。
なお、検察官は、(3)に示した電話器破壊のほか生野グループのものも派出所を破壊したと主張し、任鉄根の昭和三二年七月一九日の証人尋問調書中の「朴順伍が派出所の傍で棒を持つているのを見てその破壊に関係があるように思つた」旨の記載を引用するが、右朴順伍は先頭グループのすぐ後の朝鮮人らの中にいた〔第一三四回公判における同人及び証人高昌植の各供述〕のであるから、右主張はとうてい認められない。
さらに、検察官は、投石数は三五個であつたと主張する。なるほど前掲実況見分調書添付の末葉写真にはこれにそう数量の石があつめられ、また司法警察員秦健男作成の同二七年六月二六日付片山西巡査派出所における領置調書にも同様の記載があるが、右実況見分は被害の約一昼夜半経過後になされており、いわゆる現場保存も完全でなく〔電話器は実況見分当時すでに新品に取り換えられていた〕、またそのあたりは人家が多く通行人等により実況見分までにいたずら半分に投げられた石もないとはいえないので、前掲各証拠に照らし右主張はその証明が十分でない。)
以上が産業道路上における暴行の行なわれた状況について当裁判所の認定した事実である。いまだ積極的行動に出たとは直ちにいいがたいウイポン車の警察官に対しやにわに先制攻撃を加えたうえ、無人の巡査派出所をつぎつぎ破壊し、また駐留軍自動車に対しても暴行を加えた一連の行為は、まことに乱暴かつ執ようでありまた相当に強度のものであつたことはこれを認めねばならない。しかもその暴行はこれを通じてみれば、集団の比較的随所からなされており、またその数も必ずしも少ないとはいいがたい。
この点、検察官の
「特に吹田操車場を出た後クラーク准将搭乗自動車襲撃地点から吹田駅にいたる約三キロの国道上を、五分ないし一〇分、あるいは二〇分位の間隔をおき、巡査派出所三カ所、駐留軍軍人操縦にかかる乗用車二台、警察官二七名の乗用する自動車一台に対し、波状的に反復して暴行等をくりかえしたものであつて、本件をもつて集団が単に示威行進をするという全体的意思をもち、右暴行等の所為は個個散発的に、実行行為者の独自の意思で行なわれたものに過ぎないという主張は到底認められない」
「本件集団の暴行等の規模、態様、時間的場所的関係、集団の構成等を綜合して判断すれば、本件暴行等はまさに集合した多衆の合同力を恃むそれであつて、集団自体が暴行ないし脅迫の行為を行なつたことが客観的事実からも認め得るところである」
「仮に集団が平穏なデモで終始するという固い全体意思に支えられ、一部のものの過激行為を否定していたものであれば、かように連続的なしかもたとえ一部であるにせよ相当数のものによつて集団の全体にわたつて行なわれた波状的暴行行為等は実現しなかつたであろうことは経験に則して首肯し得るところである」
という主張は一概に否定しがたい観がないでもない。
しかしながら、
一、右(一)ないし(六)で認定した事実、とくに暴行したものの数、その範囲が検察官主張の基礎となつている事実と相当相違していること
二、各場面を通じ、そこで示したように、暴行等の行為に出たものはもとより積極的にこれを支援しまたは同調の言動に出たと認められるものは、集団の一部のものに限られていたこと。後に掲げる第五章で認定したように被告人韓東燮,同呉泰順、同白光玉の各所為、さらには前示の陳沢伊の行為(この点第一八九回公判の証人三好貞次郎の供述)などからみても、同一人で二カ所以上にわたつて暴行を反復したものが他にも相当数いた蓋然性が大きく、各場面の実行行為者の延人員と実人員との間には相当の隔たりがあることと思われる。またこのことは、暴行行為に対して積極的に支援同調の言動に出たものについても同様であること
三、茨木市警ウイポン車の場面では相当多数のものが一時隊列を離れて露地や民家の裏などに逃避していること
この人数については証拠上必ずしも明らかでないが、少なくとも数十名あるいはもつと多数であつたとも思われるのである(初柴信明の合意書。被告人白光玉の検察官に対する第一回供述調書各参照)。
四、各場面で認定したように少数ながら積極的に暴行等を制止する言動に出たものが認められるほか、ウイポン車の場面でも、集団の先頭付近で車上の警察官に対する追跡を制止しようとするものがいたことが認められる(第二六六回公判の証人沢口逸男の供述)こと
五、ウイポン車の場面では右のように逃げるものなどがあり隊列が一時乱れたほかは、一部のものが暴行等に出た間も、集団は停止することなくおおむね整然と隊列を維持して示威行進を続けていたこと(《証拠省略》)
六、検察官の主張するように暴行等を目撃あるいは察知して行進を続けることをもつて、直ちに合同力に加わりあえて騒擾行為に加担する意思があつたものとはいいがたいこと
等をあわせ考えると、右一連の行為をもつて、直ちに集団のいわゆる共同意思に出た、いわば集団そのものの暴行と認めがたいのである。
第四節 結論
当裁判所は、騒擾罪の成立に必要な暴行脅迫の共同意思を中心に、当初に述べた基本的態度にもとづき、本件集団の目的、性格、集団の行動に分けて検討してきたのであるが、これらを総合考慮しても、本件は集団のいわゆる共同意思に出た、いわば集団そのものの暴行であるかの点が疑わしくその証明なきものとし、騒擾罪の成立を否定したものである。
第四章 威力業務妨害罪の成否
威力業務妨害罪にいう威力とは、業務遂行の意思とその実行を制圧するに足る不当な勢威一般を指称するものと解すべきである。
ところで、本件では、
一、第二章においても認めたように、約九百名の集団が吹田操車場構内のうち約一五〇〇米の間を労働歌を高唱し、場内の職員に対し「戦争反対」「軍需物資を送るな」「労働者頑張れ」と呼びかけたりスローガンを叫びつつ約二五分間行進したこと
二、その間暴行と認められるものは、第三章第三節一、(四)においても述べたとおり、第三信号所に対するたかだか二、三名の投石・投棒による窓ガラス一枚の破壊があるのみであり、これは集団の意思と何ら関りのないものであること
三、操車場側としては、佐藤駅長のあらかじめの指示にもとづき、集団に対する万一の危険を慮つて、(第三四回公判の証人佐藤宗郎、第三五回公判の同連清治の各供述。〔検察官の論告における、この点についての連証人の供述内容の引用は正確でない。〕)第二章で述べたように、上り坂阜、下り坂阜を通じて約二〇分間列車の仕分作業を中止したことが
認められるのである。
右のように、操車場構内における本件集団行動の実態は、朝鮮戦争に反対し吹田操車場の軍需輸送に対する抗議のための集団示威行進であると認むべきである。
従つて、元来集団に検察官の主張するような軍需列車の襲撃ないし破壊の企図のあつた場合は別であるが、第三章第二節第一の集団行動の目的のところで述べたように、その証明のない本件にあつては、このような表現の自由に属する示威行進そのものをもつて直ちに威力業務妨害罪における不当な勢威一般に当るものとはいいがたい。もつとも、一般人の立入を禁止されている鉄道敷地内を行動した点で鉄道営業法第三七条にふれることも考えられるが(検察官は、当時立入禁止の札が立ててあつたと主張する。なるほど、集団の鉄道敷地内侵入箇所に対する、司法警察員秦健男作成の昭和二七年八月二八日付吹田操車場内及びその付近の実況見分調書添付写真第一にはその立札が認められるが、それ以前の、同宮地光美作成の同年七月五日付同所の実況見分調書添付写真第二には写つていない。)、以上により結局威力業務妨害罪はその証明なきに帰するのである。
第五章 第三章第三節の各場面における暴行などについて有罪のもの
被告人韓東燮
(罪となるべき事実)
被告人は、
(1)第三章第三節二、(一)で認めたように集団の後部のものがクラーク准将の自動車に石などを投げつけた際、外数名と共同して、自らも右自動車に棒一本を投げつけ前部ウインドウガラスに命中させ、数人共同して同准将に暴行を加えた。
(2)前同二、(二)で認めたように集団が吹田市消防署岸部出張所前付近を行進中、集団を追い抜こうとして疾走するウイポン車上の警察官ら二八名に対し外数名と共同して、自らも火炎瓶一本を投げつけて命中させ搭乗中の警察官ら二七名に対し火傷を与えたが、その軽重を知ることができずまたは右傷害を生ぜしめたものを知ることができない。
(証拠)《省略》
同被告人に対する殺人未遂の点は殺意の証明がないので右(2)のように認めた。
(なお、同被告人に対する公訴事実中片山東巡査派出所に対する暴行に加わつたとの点は証明がない。)
被告人康文圭
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(三)で認めたように集団の一部のものが岸部巡査派出所の窓ガラスなどをこわした際、外数名と共同して、自らも棒で同派出所の窓ガラスなどをたたきこわし、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
被告人高元乗
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(四)で認めたように集団の一部のものがビーヌ軍曹らの自動車に石などを投げつけた際、三、四名のものと共同して、自らも右自動車に石一個を投げつけて命中させ、数人共同して同軍曹らに暴行を加えた。
(証拠)《省略》
被告人李樹寛
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(三)で認めたように民青グループに属する二、三名が岸部巡査派出所の窓桟などを棒などでたたいたりなどしてこわした際、これらのものと共同して、自らも棒で同派出所の窓桟をたたき折り、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
被告人金好允
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(二)で認めたように集団が吹田市消防署岸部出張所前付近を行進中集団の一部のものから火炎瓶を投げられてウイポン車上から路上に転落した小田切恭蔵巡査に対し火炎瓶一本を投げつけて暴行した。(右火炎瓶は同巡査に命中しなかつた。)
(証拠)《省略》
なお、同被告人に対する殺人未遂の点は殺意の証明がないので判示のように認めた。
被告人金煕玉
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(五)で認めたように生野グループの一〇名近くのものが片山東巡査派出所の窓ガラスなどをこわした際、これらのものと共同して、自らも棒で同派出所の窓ガラスなどをこわし、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
被告人呉泰順
(罪となるべき事実)
被告人は、
(1)第三章第三節二、(五)で認めたように生野グループの一〇名近くのものが片山東巡査派出所の窓ガラスなどをこわした際、外数名と共同して同所備付の電話器を引きちぎつて前路上にたたきつけてこわし、数人共同して器物を損壊し
(2)前同二、(六)で認めたように、片山西巡査派出所において生野グループあたりの一名位と共同して同所備付の電話器を引きちぎつて路上にたたきつけてこわし、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
被告人任鉄根
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(二)で認めたように集団で吹田市消防署岸部出張所前付近を行進中、集団を追い抜こうとして疾走するウイポン車上の警察官ら二八名に対し外数名と共同して、自らも火炎瓶一本を投げつけて命中させ、搭乗中の警察官ら二七名に対し火傷を与えたが、その軽重を知ることができずまたは右傷害を生ぜしめたものを知ることができない。
(証拠)《省略》
同被告人に対する殺人未遂の点は殺意の証明がないので判示のように認めた。
被告人白光玉
(罪となるべき事実)
被告人は、
(1)第三章第三節二、(三)で認めたように生野グループのうち一〇名近くのものが棒などで岸部巡査派出所の窓ガラスなどをたたくなどしてこわした際、これらのものと共同して、自らも棒で窓ガラスをこわし、数人共同して器物を損壊し
(2)前同二、(五)で認めたように、生野グループの一〇名近くのものが片山東巡査派出所の窓ガラスなどをこわした際、これらのものと共同して、自らも棒で窓ガラスなどをこわし、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
被告人木沢恒夫
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(三)で認めたように朝鮮人らと民青グループの各一部のものが岸部巡査派出所に投石などを行なつて同所の窓ガラスなどをこわした際、外数名と共同して、自らもラムネ弾一本を同所内に投げ込んで数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
(被告人に対する公訴事実中片山西巡査派出所に対する暴行に加わつたとの点は証明がない。)
被告人出上桃隆
(罪となるべき事実)
被告人は、第三章第三節二、(三)で認めたように民青グループの一部のものが岸部巡査派出所に投石などを行なつて同所の窓ガラスなどをこわした際、これら数名と共同して、自らも石を同派出所に投げつけて窓ガラスなどをこわし、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
第六章 爆発物取締罰則違反その他についての判断
被告人韓東燮、同朴徳厚、同李哲、同金用立、同慎万遜、同金仁錫、同河相竜、同朴喆杓、同金好允、同金基哲、同任鉄根、同金哲珪、同洪鐘安らに対する各爆発物取締罰則違反の点は、火炎瓶は爆発物に当らないので、いずれも犯罪を構成しない。
被告人張永竜、同井上幸治、同佐藤仲利、同鈴木正隆、同古川(市田)孝、同勝間正一、同朴徳厚、同植松元夫、同酒井猛、同金仁錫、同河相竜、同初柴信明、同李文芳、同夫子浩に対する各公訴事実中第三章第三節で認定した暴行に加わつたとの点はいずれも証明がない。
第二部その他の被告事件
一、酒井猛に対する脅迫被告事件
(罪となるべき事実)
被告人は昭和二七年六月二一日午後九時過ぎごろ大阪市東淀川区三津屋中通一丁目二四番地武田薬品工業株式会社労働組合長小林通夫方表玄関に「我々の力を甘くみて売国行為を続けるならばみずからがこの地球上から抹殺されることになるだろう、愛する妻子のことを考え、一切のスパイ行為、売国行為を即時中止し、過去の裏切り行為について大衆の前に謝罪し、今後は大衆の利益を裏切らないことを誓う、という回答を六月二四日までにしなければ続いて攻撃し、処罰する」旨を記載した武長愛国青年行動隊名義の警告文とともにカーバイト入りラムネ瓶一本を投入し、右小林通夫に右警告文を読ませて同人を脅迫した。
(証拠)《省略》
二、夫子浩、同白光玉、同金哲珪、同洪鐘安に対する暴力行為等処罰に関する法律違反各被告事件
(罪となるべき事実)
被告人四名は、ほか四名と共謀のうえ昭和二七年七月二〇日午後一〇時ごろ大阪市生野区猪飼野中五丁目一四番地田部光一方にいわゆる人糞弾三個を投げ込んでガラス四枚を破損、畳三枚・衣類・雑品など計三〇点位を汚損する被害を与え、数人共同して器物を損壊した。
(証拠)《省略》
三、夫徳秀に対する暴力行為等処罰に関法する律違反被告事件
被告人に対する本件公訴事実は、「被告人は金仁?外十数名と共に昭和二七年六月一〇日大阪市東成区東小橋北之町二丁目一五六番地千葉清方に赴き同家表路上において多衆の威力を示し殴れ殺せ等と怒号し且同家入口に掲げてある大韓民国居留民団鶴橋分団の看板を取外そうとし或は同家の表硝子戸を蹴破る等の行為をなし、もつて千葉清所有の器物を毀棄し且同人らを脅迫したものである」というのである。
よつて考えるに、葉山照子こと朱奉順及び朴光雄の各裁判官調書等検察官の主張にそう証拠が存在するが、これらの調書の記載自体必ずしも明確でなく、一方被告人は当日現場に赴いたことはないと公訴事実を否認し、かつ同日被告人と終始行動をともにしたとして被告人の供述を裏付ける証人李芳一の当公廷における供述も存在するのである。彼此総合すると、検察官提出の証拠をもつてしては、当裁判所は、被告人が有罪であるとの確信に到達することはできなかつた。
第三部有罪被告人のうち七名の前科(刑法第四五条後段の併合罪関係)
(1)被告人金煕玉は昭和三一年八月八日生野簡易裁判所において外国人登録法違反の罪により罰金四千円、二年間刑の執行猶予の裁判を受け、この裁判は同年同月二三日確定した(法務事務官作成の同被告人に対する前科照会回答書)。
(2)被告人夫子浩は昭和三〇年四月五日大阪地方裁判所において放火罪等により懲役三年の言渡を受け、この裁判は同三三年四月一二日確定し、同三五年九月三日右刑の執行を受け終つた(検察事務官作成の同被告人に対する前科調書)。
(3)被告人呉泰順は、昭和二六年五月一四日大阪簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年以上三年以下の刑の言渡を受けこの裁判は同二七年七月九日確定し同三〇年三月二一日右刑の執行を受け終り、同二七年八月二二日生野簡易裁判所において傷害罪により罰金五千円に処せられこの裁判は同年同月三一日確定し、同二八年一二月五日大阪地方裁判所において傷害罪により罰金四千円に処せられこの裁判は同年同月二〇日確定し、同三〇年一一月四日生野簡易裁判所において傷害罪により罰金三千円に処せられ、この裁判は同三一年一月二六日確定し、同三二年一〇月八日大阪地方裁判所において恐喝罪等により懲役十月の刑の言渡を受けこの裁判は同年一二月八日確定し同三三年一一月一五日右刑の執行を受け終つた(検察事務官作成の同被告人に対する前科調書)。
(4)被告人任鉄根は、昭和三三年七月四日大阪地方裁判所において窃盗罪により懲役一年の刑の言渡を受けこの裁判は同年同月一九日確定し同三四年七月三日右刑の執行を受け終り、(法務事務官作成の同被告人に対する前科照会回答書)また同三六年五月二三日東京地方裁判所において臟物故買罪により懲役三年罰金十万円に処せられこの裁判は同年六月一日確定した(検察事務官作成の同被告人に対する前科調書)。
(5)被告人白光玉は昭和三一年一二年三日生野簡易裁判所において外国人登録法違反の罪により罰金二千円に処せられこの裁判は同年同月一八日確定した(法務事務官作成の同被告人に対する前科照会回答書)。
(6)被告人洪鐘安は、昭和三三年七月二二日東京簡易裁判所においてたばこ専売法違反の罪により罰金三千円に処せられこの裁判は同年八月六日確定し、同年一〇月二三日同裁判所において同罪により罰金五千円に処せられこの裁判は同年一一月七日確定し、同三四年三月六日同裁判所において同罪により罰金三千円に処せられこの裁判は同月二一日確定し、同年同月二七日同裁判所において同罪により罰金五千円に処せられこの裁判は同年四月一二日確定し、同年一一月二五日同裁判所において同罪により罰金一万円に処せられこの裁判は同年一二月一〇日確定し、同三五年四月一二日同裁判所において同罪により罰金一万五千円に処せられこの裁判は同月二七日確定した(法務事務官作成の同被告人に対する前科照会回答書)。
(7)被告人出上桃隆は昭和三六年二月一日大阪高等裁判所において暴力行為等処罰に関する法律違反の罪等により懲役三年六月に処せられこの裁判は同年三月二二日確定した(検察事務官作成の同被告人に対する前科調書)。
第四部法令の適用
第一部第五章で認めた、被告人韓東燮の(1)、同高元乗の各所為は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(刑法第二〇八条)に(懲役刑選択)
右同、被告人康文圭、同李樹寛、同金煕玉、同呉泰順の(1)(2)、同白光玉の(1)
(2)、同木沢恒夫、同出上桃隆及び第二部二、で認めた、被告人夫子浩、同白光玉、同金哲珪、同洪鐘安の各所為は、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(刑法第二六一条)に(懲役刑選択)
第一部第五章で認めた、被告人韓東燮の(2)、同任鉄根の各所為は、刑法第二〇七条第二〇四条第六〇条に(懲役刑選択)右同、被告人金好允の所為は、刑法第二〇八条に(懲役刑選択)
第二部一、で認めた、被告人酒井猛の所為は、刑法第二二二条第一項に(懲役刑選択)
それぞれ該当する。
被告人韓東燮の右の各所為は、刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるので同法第四七条第一〇条により刑の重い判示(2)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役十月に処し、同法第二一条により未決勾留日数一七七日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害及び爆発物取締罰則違反の各点は、第一部第四章及び第六章で示したように、いずれも無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人康文圭に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役三月に処し、刑法第二一条により未決勾留日数五四日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人高元乗に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役二月に処し、刑法第二一条により未決勾留日数二八日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人李樹寛に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役三月に処し、刑法第二一条により未決勾留日数三八日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人酒井猛に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役三月に処するが、諸般の事情を考慮し刑法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。なお、同被告人に対する公訴事実中騒擾(率先助勢)及び威力業務妨害の各点は、第一部で示したように、いずれも成立を認めないので刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。
被告人金好允に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役四月に処し、刑法第二一条により未決勾留日数三八日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害及び爆発物取締罰則違反の各点は、第一部第四章及び第六章で示したように、いずれも無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人金煕玉の右の所為は、第三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用したうえ、所定刑期範囲内で同被告人を懲役三月に処し、同法第二一条により未決勾留日数二三日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人夫子浩の右の所為は、第三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用したうえ、所定刑期範囲内で同被告人を懲役四月に処し、同法第二一条により未決勾留日数二六日を右刑に算入する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中騒擾(率先助勢)及び威力業務妨害の各点は、第一部で示したように、いずれも犯罪の証明がないので刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。
被告人呉泰順の右の各所為は、第三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用するが、その間にさらに同法第四五条前段の併合罪の関係があるので同法第四七条第一〇条により犯情の重いと認められる判示(1)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役四月に処し、同法第二一条により未決勾留日数二三日を右刑に算入する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人任鉄根の右の所為は、第三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用したうえ、所定刑期範囲内で同被告人を懲役八月に処し、同法第二一条により未決勾留日数四六日を右刑に算入する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害及び爆発物取締罰則違反の各点は、第一部第四章及び第六章で示したように、いずれも無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人白光玉の各所為は、策三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用するが、その間にさらに同法第四五条前段の併合罪の関係があるので同法第四七条第一〇条により犯情の最も重いと認められる第一部第五章で示した同被告人の(2)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で同被告人を懲役六月に処し、同法第二一条により未決勾留日数五九日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は,第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人金哲珪に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役二月に処し、刑法第二一条により未決勾留日法二九日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中騒擾(指揮)及び威力業務妨害の各点は、第一部で示したように、ともに犯罪の証明がなく、爆発物取締罰則違反の点は、同部第六章で示したように、罪とならないので、いずれも刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。
被告人木沢恒夫に対しては、所定刑期範囲内で同被告人を懲役四月に処し、刑法第二一条により未決勾留日数七七日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(指揮・率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
被告人洪鐘安の右の所為は、第三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用したうえ、所定刑期範囲内で同被告人を懲役三月に処し、同法第二一条により未決勾留日数三四日を右刑に算入するが、諸般の事情を考慮し同法第二五条によりこの裁判確定の日から一年間刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中騒擾(指揮)及び威力業務妨害の各点は、第一部で示したように、ともに犯罪の証明がなく、爆発物取締罰則違反の点は、同部第六章で示したように、罪とならないので、いずれも刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。
被告人出上桃隆の右の所為は、第三部に掲げた同被告人の確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条を適用したうえ、所定刑期範囲内で同被告人を懲役二月に処し、同法第二一条により未決勾留日数一二日を右刑に算入する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、同被告人に負担させない。なお、同被告人に対する公訴事実中威力業務妨害の点は、第一部第四章で示したように、無罪であるが、騒擾(率先助勢)と想像的競合の関係にある処断上の一罪として起訴せられたものと認め、とくに主文において無罪の言渡をしない。
以上のとおりであるから、被告人韓東燮、同康文圭、同高元乗、同李樹寛、同酒井猛、同金好允、同金煕玉、同夫子浩、同呉泰順、同任鉄根、同白光玉、同金哲珪同木沢恒夫、同洪鐘安、同出上桃隆をのぞくその余の被告人全員に対して刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(今中五逸 吉川寛吾 児島武雄)